詩人・建築家 立原道造のヒヤシンスハウス  後編
#ART&CULTURE

「落ち着く空間」を考える

詩人・建築家 立原道造のヒヤシンスハウス 後編

VOLUME.2

150年以上にわたって、シンプルな日常着を美しい素材で作り続けている「SUNSPEL」の表参道店で
スタッフをつとめる中山沙彩さんは、自宅での読書や、出かけたさきで建築を体験することが趣味。
連載では、彼女が出会った詩人・建築家の立原道造を通し、「落ち着く空間」について考えていきます。
前半は、立原が構想し、没後に実現された週末用住宅の「ヒヤシンスハウス」を訪れ、
後半では、青森県立美術館や京都市京セラ美術館といった公共空間から、商業空間、
さらには個人の住宅までを手がける、建築家の青木淳さんに、
ほっとする空間について、話を伺っていきます。

Edit by Yoshikatsu Yamato(kontakt)
Photography by Yurika Kono

 24歳という若さでこの世を去った立原道造は、多くの詩を残し、建築家として歩んでもいた人物です。同じく東京大学の建築科の一学年後輩であった建築家の丹下健三は、その存在には一目置き、自身が建築家を志すきっかけとして立原の名前を挙げ、そのエピソードを語っています。

「東京大学の学生時代に友人の立原道造(昭和の詩人・建築家)から刺激を受け、建築家になることを最終的に決意しました。彼は詩人ならではの観察力で、「僕は北からやって来た一介の貧乏人だ。北の人間は、とにかく物事を観念時に捉えがちなので、物書きや哲学者に向いている。しかし、丹下くんは南の温暖な地方からやってきたから、視覚的に物事を捉え考える。地中海に沿った、あのギリシャやローマの素晴らしい建築物を見ればわかるじゃないか」と言ったのです。」(*1

*1 ローランド・ハーゲンバーグ『職業は建築家 君たちが知っておくべきこと』(柏書房、2004152-153頁)

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 立原道造は生前、埼玉の浦和に、小さな週末住宅を計画していました。建築好きの中山さんが今回訪れたのが、その「ヒヤシンスハウス」です。没後に再現されたその小屋が位置する別所沼公園は、メタセコイヤが涼しげな沼を囲うように林立する気持ちのいい公園。前編では、そんな周囲の自然と溶け込むような佇まいや、入り口のアプローチ、室内の物理的な狭さにも関わらず、雨戸やカーテンを開ける過程で部屋の表情がみるみると変わっていくさまをレポートしました。

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ひととおり部屋を眺めた中山さんは、あらためて、玄関のドアノブに注目します。「ある建物に訪れたときは、空間そのものを感じとるような体験だけでなく、ささやかな部品にも注目してしまいます。特に、ドアノブや窓枠は、凝ったディティールや、他にはないデザインに出会うことが多いですね。この玄関の取っ手は、これもヒヤシンスのかたちなのかな、それとも、また違う植物をかたどっているんでしょうか」

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 立原が残したヒヤシンスハウスの設計に深く関わる文章とされる、随筆「鉛筆・ネクタイ・窓」のなかで、彼はこう綴っています。ここに書かれる湖、ポプラ、紫の花、青い空を、ヒヤシンスハウスでは、追体験してみる楽しさもありそうです。

「僕は、窓がひとつ欲しい。

 あまり大きくてはいけない。そして外に鎧戸、内にレースのカーテンを持つてゐなくてはいけない、ガラスは美しい磨きで外の風景がすこしでも歪んではいけない。窓台は大きい方がいいだらう。窓台の上には花などを飾る、花は何でもいい、リンダウやナデシコやアザミなど紫の花ならばなほいい。

 そしてその窓は大きな湖水に向いてひらいてゐる。湖水のほとりにはポプラがある。お腹の赤い白いボオトには少年少女がのつてゐる。湖の水の色は、頭の上の空の色よりすこし青の強い色だ、そして雲は白いやはらかな鞠のやうな雲がながれてゐる、その雲ははつきりした輪郭がいくらか空の青に溶けこんでゐる。

 僕は室内にゐて、粟の木でつくつた凭れの高い椅子に坐つてうつらうつらと睡つてゐる。夕ぐれが来るまで、夜が来るまで、一日、なにもしないで。

僕は、窓が欲しい。たつたひとつ。……(*1)」

*1 立原道造『立原道造全集3』(筑摩書房、2007342-343頁)

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 随筆の中にも登場する椅子は、スケッチも残されている、立原自身の設計によるもの。雨戸とおそろいでくり抜かれている椅子の背もたれの十字型は、ヒヤシンスの花をかたどっているそうです。

「背もたれがくり抜かれている椅子は、可愛らしくて、個人的に好きです。ゆったりとくつろぐのでもなさそうな簡素なつくりの椅子で、十字型からは、やはり十字架も想像されるので、教会の椅子のような、静謐な雰囲気すら感じられました。東京大学のほど近く、本郷三丁目駅から歩いていける「喫茶ルオー」にも、背もたれがくり抜かれている椅子があります。たしかそれはコーヒーカップのかたちだったかな」。

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 内装のなかでも、特に中山さんが気に入ったというのが、ベッドの上あたりにある本の棚でした。「寝台のそばに本棚があるのは、眠るまえに、本を読む生活を想像させますよね。取材の日はとても暑い夏の日でしたが、小さな窓からは風が入ってきたので、暑さをそこまで感じませんでした」。

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 「日中は、沼の周りの木立のあいだを散歩して、日が落ちてからは、そよそよと部屋のなかに入ってくる冷房がわりの夜風にあたり、お気に入りの本を読む。このヒヤシンスハウスは、コンパクトな空間なのに、そうした住まい手が行う生活の動作を豊かに想像させてくれます」

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 在宅の際に掲げられる旗は、立原が、この小さな週末住宅の計画を進めるなかで、画家の深沢紅子に依頼をしていたものだそうです。実現には至りませんでしたが、今は、水色の旗がはためき、立原が求めていた風景をイメージさせてくれます。

「ヒヤシンスハウスの倍以上の高さがある旗は、在宅時に掲げるため、この小屋とセットで、立原道造が計画していたものです。取材の日は、ヒヤシンスハウスの会の北原さんの懇意で、特別に、旗をあげさせてもらうことができました。空にむかって旗をあげる行為は、ちょっとした儀式のようでわくわくしました。あと、スタジオジブリの映画、『コクリコ坂から』の冒頭、主人公の小松崎海(メル)が手綱を引いて、旗をあげるシーンを思い出しましたね。緑に囲まれていることもあり、自分の置かれた状況が、どこかジブリの世界のように感じられてきて」。

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 「キッチンがないのが、気になりました。私はキッチンは欲しいです(笑)。たぶん、立原さんがしようと思っていた生活が、キッチンを必要としていなかったのかな。今回ヒヤシンスハウスに来てみて、都会で暮らしていると、慌ただしく過ごすことが多いけれど、この小さな住まいを愛おしく思う心を、無くさないように生きていきたいと思いましたね。立原さんの詩を読むときも、ひっそりとしていながらも変化に富んでいて、いろいろな所作が誘発されて、周囲との関係もオープンになったり、閉じたりするこの家を思い出すことがありそうです」。

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浦和駅、中浦和駅からアクセスできる別所沼公園内のヒヤシンスハウスは、一般公開されています。開室日は、水・土・日・祝日の10時から15時まで。詳しい情報はオフィシャルサイトに掲載されていますので、訪問のまえにご確認ください。

続く連載では、ヒヤシンスハウスや立原道造について文章を書き、2017年に講談社文芸文庫より出版された『建築文学傑作選』で、彼の晩年の紀行文「長崎紀行」を選びアンソロジーに加えた、建築家の青木淳さんにインタビュー。ヒヤシンスハウスや立原道造の話にはじまり、住まいや建築の体験について話をお聞きします。

  
  • 中山沙彩

    生まれ故郷の関西から、2019年に東京に出て、アングローバルに入社。現在は、SUNSPEL表参道店のスタッフとして、日々、お客さんの接客にあたる。休日には、美術館や歴史ある建物に足を運んで建築空間を体験したり、ちょっとした部材のつくりにうっとりしたり。読書も好きで、1日中家に閉じこもっていることも多い、ザ・文化系な一面も。