建築家・青木淳から見たヒヤシンスハウス
#ART&CULTURE

「落ち着く空間」を考える

建築家・青木淳から見たヒヤシンスハウス

VOLUME.3

150年以上にわたって、シンプルな日常着を美しい素材で作り続けている「SUNSPEL」の表参道店で
スタッフをつとめる中山さんは、自宅での読書や、出かけたさきで建築を体験することが趣味。
連載では、彼女が出会った詩人・建築家の立原道造を通し、「落ち着く空間」について考えていきます。
前半は、立原が構想し、没後に実現された週末用住宅の「ヒヤシンスハウス」を訪れ、
後半では、青森県立美術館や京都市京セラ美術館といった公共建築から、商業施設、
さらには個人住宅までを手がける、建築家の青木淳さんに、
ほっとする空間について、話を伺っていきます。

Edit by Yoshikatsu Yamato(kontakt)
Photography by Yurika Kono

中山 今日はどうぞよろしくお願いします。

青木 お願いします。

中山 この連載は、私がかねてから気になっていた、立原道造のヒヤシンスハウスに行くことからはじまりました。京都の本屋さんで立原道造の詩集に出会い、その詩に魅力を感じて彼について調べてみると、建築家として働いていたこと、そして彼が生前に設計した週末住宅が、埼玉に再現されていることを知りました。そして、青木さんは、『建築文学傑作選』に立原の文章を入れていたり、「立原道造のヒヤシンスハウス」というエッセイを書いていらっしゃいますよね。

青木 それでなんですね?

中山 はい、今日はそのつもりで。さっそくですが、青木さんが立原道造を知ったのはいつ頃なんですか?

青木 20代の頃ですね。僕にとっても、詩人として知った方がはやかった。彼が建築家であると世の中が思うようになったのは、最近のことなんです。あくまで詩人が本職で、学校は建築学科を出た、くらいに捉えられていたと思います。ヒヤシンスハウス、どうでしたか? 感想を聞いてみたいです。

中山 5坪ほどの空間ですが、とてもワクワクしました。それまで私が訪れた建築は、規模の大きい美術館など見せるための空間で、圧倒されるような体験が多かったのですが。

青木 いわゆる派手な建築ではないですよね。

中山 小さな家ですね。でも、一人でいることの楽しさを追求したのかな、と思わせる感覚が詰め込まれていて、作り手の静かな高揚感が伝わってくる建築だと思いました。外観も、存在感があるというより、周囲の自然と溶け合っていて。

青木 立原の建築を「寝そべる建築」だと書いたのは、建築家の鈴木了二さんです。建物がだらしなく寝そべっている感じがすると。

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中山 寝そべる建築。面白いです。

青木 立原道造は、建築学科に通っていた学生のときからある意味で異端だったようです。当時は、モダンニズム建築、具体的にはル・コルビュジエという建築家のスタイルがトレンドで、多くの学生は、みんなそれを雑誌で見て感化されて、一生懸命それを学んで設計をしました。「寝そべる建築」の対局です。その筆頭が丹下健三ですね。でも、立原道造が参考にしていると思われるのは北欧の建築だったりして、時代の本流とは違うんです。彼は、学生の優れた案に与えられる辰野賞という賞を3回も取っていて、丹下さんは1回。優秀な学生であったことは間違いありません。

中山 コルビジエの建築を見に行ったことがありますが、それと比べて、ヒヤシンスハウスはかた苦しさがないというか、のびのびしていました。

青木 本当にそうですよね。そばには別所沼と呼ばれる沼があったでしょう実は、今、ヒヤシンスハウスが立っている場所から、沼に対して反対側へ平行移動させたところが、立原が計画していた本来の立地です。その立地だと、建物に向かうとき、屋根が下がった側から見える。あえて、家がすごく小さなものに見えるように設計していたようです。

中山 確かに、どこから見るかで、大きさの印象は違った気がします。最初に、旗をあげさせてもらいました。

青木 ヒヤシンスの旗は重要ですよね。彼は在宅時にあの旗をあげようと、画家に依頼までして具体的に計画していたんですよね。なぜ旗をあげるかというと、ヒヤシンスハウスには台所がなかったでしょう。

中山 ありませんでした。そのことは気になっていて。

青木 当時がどういう時代だったかというと、関東大震災で東京が壊滅的に燃えてしまって、浦和周辺に画家や音楽家が移住したころだったんですね。だから、周りに知り合いがいて、ご飯はみんなで集まって食べればいい。あそこは周囲の人たちとのコミュニティが前提になっていた住宅なんです。それで、旗は、自分がいるということをコミュニティに対して示す機能的なものでした。

中山 なるほど。

青木 もうひとつ、僕は旗に関して思っていることがあります。筑摩書房の『立原道造全集』には、立原の絵がたくさん載っています。見たことがありますか? すごく上手いんですよ。

中山 絵は見たことがないです。

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青木 僕が思うに、彼にとっては、絵を描くのも、詩作も、建築の設計も、さほど違わなかったんじゃないかということです。これは、中学生のときのものですが、関東大震災の後かと思われる絵があって、電信柱が目立っている。「縦線」が、すごく重要になっているように思うわけです。他の絵を見ても、この人の絵には、まっすぐな縦線がよく出てくる。構図上、どうしても縦が欲しくなっちゃうようなところがある。

中山 癖でしょうか。

青木 そうですね。さらに、建築学生のときに設計した図面を見ると、塔が立っている。彼は、建物のなかにも縦に伸びるものを入れている。構図上、縦線が必要。そういう感覚なのだろうと僕は思っています。大学を卒業すると設計事務所で働くわけですが、そこで設計した建物にも、塔が出てくる。あと、実際に建設された病院があって、そこでも旗が計画されていました。結果的に建てられたものには、旗はありませんでしたが、どうも間が抜けているんです。縦線があるかないかで全然違っています。

中山 そこにも旗が。

青木 構図上、必要なものが、彼にとっての塔であり旗なんですよ。僕が勝手に読み取ったことなんですけど(笑)。

中山 旗は周囲に住む知り合いに「いますよ」と示す機能だけでなく、癖のように彼が繰り返し設計案に組み込んでいたものだったと。旗をあげることが、儀式みたいで引っかかっていたのですが、台所がなかった謎も解けてすっきりしました。

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青木 ヒヤシンスハウスは、本当に不思議な小屋ですよね。全部が並んでいるじゃないですか。ベッド、書き物机、腰をかけるベンチとテーブルが、全て横に並んでいたでしょう。

中山 そうでした。

青木 それが一方向を向いているのも、面白く感じます。そうなったのは、絵描きの視点で考えていたからではないかと、僕は思っています。僕には、ヒヤシンスハウスが演劇の舞台の、書割に見えるんです。舞台では、全てのセットが観客のほうに向かって並んでいるでしょう。それにすごく似てる気がして、ヒヤシンスハウスは、バラバラのシーンを凝縮した、主演、立原道造の舞台に見えるんです。

中山 そのお話は、私のワクワク感と繋がっていると思います。あの部屋にいると、あの横並びの家具を使った1日の動作が鮮明に想像できるんですよね。ベンチに腰掛けて、書き物をして、寝る前に本棚に本をしまい、そしてベッドで寝る、というような。

青木 そこで行われるシーンがかなりイメージされていて、それを実現したっていうような感じがするでしょう。

中山 立原道造が残した「鉛筆・ネクタイ・窓」という文章も、想像を言葉にした文章ですね。ヒヤシンスハウスで過ごす時間や、見えている景色を、妄想のように書いている。

青木 ただ、不思議なのは、彼が本当にそこで暮らしをしたかったのかどうか、わからないところです。

中山 それはどういうことですか?

青木 僕が傑作選に収録した『長崎紀行』は、立原の晩年の紀行文です。自分の体がボロボロになって、南に行ってみようと長崎へ向かい、当時結婚を考えていた相手に読んでもらうために手記として書かれました。彼のなかには、長崎ではこういう生活が待っている、という夢想があって、ついに、その建物に到着しますが、現実は想像と違っていた。彼は現実に直面して、愕然として立ち上がれなくなってしまうんです。そういうところがある。だから、このヒヤシンスハウスもまたそうで、それが本当に完成して、彼が住むということには重点が置かれていなかったのではないかと考えてみることもできるんです。

中山 彼が、その場所での生活や、シーンを強くイメージしていたことは、私もヒヤシンスハウスから感じ取れるほどでした。でも、それを、本当に建てたかったかというと、そうではなかったかもしれないと。

青木 そうも思えるのが、不思議なところですヒヤシンスハウスが再現できたのは、生前、彼の頭の中では十分すぎるほど完成していて、図面も十分にあったからなわけです。実際に作ることもできたのではないか? 時間はあったのではないか? とも思うんです。でも、作らずに終わったのは、なんとういうか、彼は自分の妄想が形になることが怖かったのかもしれません。

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中山 なるほど……。青木さんの建築の見方は、立原道造が残したさまざまな点を辿っていくようで、とても面白いです。青木さんは、常日頃から、建築物を見に行く機会も多いかと思います。ご自身の設計した建築ではない空間を訪れるとき、どういうところを見ているのか、どのように見ているのか、もっとお聞きしたいです。

青木 楽しみ方はいくつかあります。なにも考えず、何かを見ようとするつもりもなく、ただそこにいる、というのがあります。それだけで感じるものがあるのが建築ですよね。しかし、こういう仕事をやっているからだと思うのですが、どうしていいと思えるのか、分析したくなっちゃう。すると、「あ、これだ!」と、この部屋の大きさに対して、天井がこの高さだからいいんだ、とか、あれこれ仮説を考えるわけです。しかも建築は、誰かが作ったものなので、判断をして作るわけでしょう。その人が設計している時に考えていたこと、なにを考えてこうしたんだろうっていうのを辿りたくなる。建築は、いっぺんには体験できないものです。どうしたって歩きながらしか体験できません。そのなかで、さっき見たこれと、今見てるこれがつながっているのか、いないのかを考えながら見ることもします。

中山 私は美術館に行くときに、空間や、細かいところのつながりを見つけるように見ているかもしれません。目黒にある庭園美術館が好きなのですが、たとえば、まず1階から庭の池を見て、2階に上がり、2階からも池を見ます。ちょっと違って見えたりして、ある景色と別の場所からの景色が頭のなかでつながって、重なったりしながら、それを「空間」として受け取っているというか……。

青木 そうですか。庭園美術館は、朝香宮の邸宅として作られたもので、元々は住宅でした。お風呂場があったり、応接間があったり、それらの空間の機能は全然違いますが、アール・デコという様式で作られているから、いろいろなところが、アール・デコの装飾で、なんとなくつながっている。部屋ごとにデザインは違うけれど、順に見ていくと、ある部屋とある部屋がセットになっていると気づいたり、そういうところが色々ありますよね。それが面白いでしょう。

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中山 行きたくなってきました(笑)。ところで、青木さんは、ご自身の住まいを考えたことはありますか?

青木 僕は自分の家が考えられないんですよ。人のために設計するのは楽しいけれど、自分のはどうでもいい。僕はね、どこにでも住めるんです。強いていえば、大きくて何にもなければいい。体育館みたいなところが最高です。

中山 家具もない?

青木 なにもない。引っ越しが済んだ後の部屋って、何にもないでしょ? あれが1番好き。がらんとしている部屋です。だから設計になりません(笑)。昔ね、自宅の部屋の照明をどうしようかと考えて、1年くらい照明がなかった。

中山 どうしていたんですか。

青木 暗かったです。

中山 (笑)。建築家は、こだわりが強いのかなって。

青木 自分の家は作れないですね。考えてみても、本当に分からなくなっちゃう。過去に、一度頑張って考えようとしたことがあって、それは2階建なんです。まず1階は天井高は1.5メートルでいい。全部倉庫。台所なんかもすべて1階に入れて、2階は何もない部屋にする。妻にそれを提案しましたが、却下されました。とてもじゃないけど、そんな家には住めないと。

中山 住めません(笑)。

青木 中山さんは、理想の家がありますか?

中山 広い家ではなくて、自分の目が届く範囲内に収まっている、程よく狭い家がいいと思っていて、それこそヒヤシンスハウス に近いんですけど。

青木 じゃあ台所はいらない?

中山 いえ、台所は欲しいです。あと、日当たりも大切。ヒヤシンスハウスには横長の窓があって、それがすごい理想的です。あと、吉本ばななさんの小説『キッチン』を原作にした、森田芳光監督の映画に出てくるキッチンも憧れです。木枠の窓があって、ガラスの戸棚があって、作りは古くて、床を歩くとギシギシいうようなところです。

青木 『キッチン』の語り手は、キッチンに住みたいんですよね。冷蔵庫の音が落ち着くとかいって、寝ちゃったり。

中山 理想のキッチンがあったら、私もそうなるかも。すごく共感します。

青木 料理を作ったり、食べたり、そこで寝てもいい。

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中山 この連載のテーマは「落ち着く場所」ってなんだろう? ということです。青木さんにとって、落ち着いているとは、どういう状態だと思いますか。

青木 無理をしないでいられる、ということですかね。僕がさっき話したなんにもない空間にも2種類あって、落ち着く場合と、研ぎ澄まされてしまって、全然落ち着かない場合があります。後者を作ってしまいがちですよね、建築家は。いかにもデザインした、ミニマルな感じというかね。そういうのとは違う、がらんとした空間が落ち着きます。ヒヤシンスハウスは、よく考えてできているけど、そういう感じはしませんよね。

中山 ミニマルですが緊張感はなかったです。

青木 そうですよね。「落ち着く空間」は、眠れるような空間、と言えるかもしれません。キッチンも、眠るためには作らないけれど眠れる、っていうのが、いい空間でしょう。

中山 確かに、そこでぐっすりと眠れるかどうかは、落ち着く空間の基準になりそうです。青木さんは、住宅をつくる側でもあって、その立場から考える落ち着く空間って、どんなところなのでしょうか?

青木 住宅を作るには相手がいるわけで、居心地のよさは本当にみなさん違うんですよ。自分は普通だからっていうんだけど、みなさん全然標準じゃない。人それぞれすごい違うなっていうのが実感です。

中山 なるほど。こうつくれば落ち着く空間ができる、っていうのはないのですね。

青木 そうですね。心地いいと感じるのは人によって違う。だから、設計しているあいだは、自分の感覚も変えないと作れません。でも、自分の感覚でないもので作ると、予想はできませんけど、もしかしたらすごい良いものができるかもしれない。それが楽しみです。

中山 次回は、青木さんが設計した新しい住宅にお伺いさせていただきます。そこでさらに「落ち着く空間」がどんなところなのか、考えてみたいと思っています! 今日は、ありがとうございました。

青木 ありがとうございました。ではまた。

  
  • 青木淳

    1956年、神奈川県生まれ。建築家。磯崎新アトリエに勤務後、1991年に青木淳建築計画事務所(現在は、ASに改組。)を設立。個人住宅をはじめ商業施設や、《青森県立美術館》や《杉並区大宮前体育館》、《京都市京セラ美術館》に代表される公共建築など、作品は多岐にわたる。著書に『原っぱと遊園地』、『フラジャイル・コンセプト』、編著に『建築文学傑作選』など。

  • 中山沙彩

    生まれ故郷の関西から、2019年に東京に出て、アングローバルに入社。現在は、SUNSPEL表参道店のスタッフとして、日々、お客さんの接客にあたる。休日には、美術館や歴史ある建物に足を運んで建築空間を体験したり、ちょっとした部材のつくりにうっとりしたり。読書も好きで、1日中家に閉じこもっていることも多い、ザ・文化系な一面も。