#EAT&DRINK

THE WORKING−仕事

料理を作る 坂田阿希子(料理家・洋食KUCHIBUEシェフ)

VOLUME.6

ほぼ全ての人が仕事をする。
理由やその形はさまざまだけれど、それは生きる上でとても大切なことのひとつ。
時代とともに変化する仕事について知ることは、
今とその先のいろいろなことを“考える”きっかけになるかもしれない。
何か特別なことではなくて、さまざまな人たちの生業について見聞きしたいと思う。
知らない土地を旅するように。

Photography by Hiroyuki Takenouchi
Edit by Yoshikatsu Yamato (kontakt)

おいしいは、人の数だけある。家族とともに暮らしているのか、一人暮らしなのか、料理にどれくらいの時間を使えるのか。「おいしい」にたどり着くシチュエーションはひとそれぞれだ。そんな、日常生活と切っても切れない「食」について四六時中考え、素材を掛け合わせて技術を伝え、「おいしい」を提案する「料理家」は、いったいどんな仕事なのだろう。

代官山の洋食店「KUCHIBUE」でオーナーシェフとして料理を振舞い、多くの料理本を世に送り出してきた坂田阿希子さん。ざっくばらんに語り、笑い、そして真剣な目で料理を作る彼女に、料理家としての姿勢や、自身の仕事の意義について伺った。

「コンビネーションサラダ」は、シンプルな構成要素の全てにこだわりが詰まっている。
短冊切りのキュウリと、歯ごたえのあるセロリでさっぱりと。
湯むきされたトマトは優しげで、熟成ドレッシングにはコクがある。

―料理家は、どうやったらなれるのか、どんなことをしていたら料理家なのか、実はイメージがしづらいお仕事だと思います。これまでの経歴をお聞きしたいです。

小さい頃から料理の本が大好きでした。母はまめに料理をつくるひとで、父は外食好き。新しいお店ができればみんなで出かけるような家族だったこともあり、料理本や、雑誌や新聞のスクラップが家に沢山ありましたね。

―その当時から、料理家になりたい! と明確に意識していたのでしょうか。

大好きな料理の本を作ってみたい、という気持ちはあったかもしれませんが、料理家という職業は意識していなかったと思います。

―絵本が好きなように、料理本が好きだったと。

そうです。小学校低学年の頃に図書館に行ったら、5冊のうち3冊は料理の本を借りるくらい料理の本に夢中でした。その時はただ、「好き」と思っていましたけど、今考えれば、料理というものが主役になって演出され、写真になり、それがデザインされてひとつの作品となる。そんな世界に魅力を感じていたんです。写真を見ながら、このテーブルに私もつきたい! と強く思っていました(笑)。それで、料理の本を作ることを仕事にしてみたい、と大学を卒業してから出版社に就職したんです。

―調理師学校に通っていたわけではなかったんですか。

一般大学から、料理本や雑誌を出している出版社に就職しました。ただ、仕事は楽しかったけれど、なんだかしっくりこない感じもあって、ここじゃないような気がする、とモヤモヤしていました。

―漠然とした違和感があったと。

いろいろな会社を受けたなかで新卒採用が決まった出版社でしたが、2年ほどでやめてしまうんです。

―相当な覚悟を決めたんですか。

いえ、覚悟というほどのものはありませんでした。本当に、ふと、という感じ。さてどうするか、というとき、出版社の仕事で交流のあった料理家の先生にお声がけをして「じゃあ手伝いに来たら」と言っていただけて、アシスタントをはじめました。

―料理の基礎はその時期に?

はい、基礎的なことはかなり学べたと思います。それに、料理家という仕事についても知る機会になりました。でも、技術をしっかりと身につけるなら、もう少し違う場所もあるのではないかとも思ったりしていて。

―それはなぜでしょうか。

料理家の仕事は、毎回企画やテーマに沿って違う料理を作ります。そしてそれぞれにその先生が身につけた技術や知識や思い出がそこに入っている。毎日同じ料理を繰り返し作る、というようなことはあまりありません。でも技術は繰り返さないと身につかない。それに、わたし自身の技術や知識をもっと身につけたいと思っていました。それで、修業が必要だと感じて、フランス菓子店と、そのあとにフランス料理店で働きはじめるんです。当時から私は、料理家というものになるなら、「好きが高じて」というのではなくて、きちんとした技術と知識が必要だと考えていました。この仕事は資格があるわけでもないし、「自称」でもなれてしまうけれど、発表したレシピが家庭でつくられて、子どもの口に入って思い出の味になるとするなら、中途半端な提案ではいけないと思っていたんです。

―お店での仕事を振り返っていかがですか。

お菓子屋さんの仕事は、ハードでしたが、とにかく鍛えられましたね。実際に自分の手で仕上げたものがお客様の前に出て行くわけです。それにお給料をいただくので責任が伴う。いつも同じスピードで、同じクオリティーのものを作り続けなければいけない。体力勝負ですし、最初はダメダメでした。お店の同僚は今までパティシエとして経験してきた人たちだったから、私を見かねて練習に誘ってくれるんですけど、「えー、疲れた。帰りたいよー」みたいな(笑)。

―なんと(笑)。

意識が違ったんですよね、最初は。でも、このままではいけない! と練習をするようになって、だんだん出来ることが増えていきました。それで火がつきましたね。ああ、こういうふうに職人さんたちは技術を習得して、日々お互い研磨しているんだと知って、指導してもらうことに感謝もしましたし、本当に素晴らしいことだなあと思い、本腰を入れるようになっていきました。経験が徐々に蓄積されて、このタイミングでやればうまくいく! ということがだんだん体でわかってくるようになりました。

―料理は、本当にタイミング勝負だろうな、と想像します。

そうなんです。特に、お菓子づくりはタイミングを見定めて、ピタッと合わせることが重要です。上手なものができた瞬間は、なんとも小気味いいというか、そのコツさえ見つけられると失敗しない。よし、ここだ! うまくいった! 気持ちいい! みたいな(笑)。自分では意外だったのですが、そうしてレベルアップして、任せてもらえる品目が増えていくのは、自分の性格に合っていたんです。

―パティシエ、あるいはシェフから、どう「料理家」になったのでしょうか。

私の場合、独立したばっかりのときは本当に仕事がありませんでした。自宅で料理教室を開いても、最初の生徒は友だち(笑)。それでも、ホームページを作って自分の料理を発信したり、ファイルをつくって売り込みをしていましたね。すると徐々に、撮影用の盛り付け料理や、広告のお仕事など、少しずつですが、小さなお仕事をいただけるようになりました。

―自分の名前で本を出すのは、最初から出来るわけではないのですね。

それはそうですよ。飲食店をやめて、料理家ですと言っても、あなた誰? なにが出来るの? って感じでしょう。それに、自分のカラーや、提案できるものが分かっていたわけでもなかったんです。独立後にさまざまな仕事をしながら、自分の料理に共感してくれる編集の方や、ライターさんと出会って、本を出す、本で伝えるという仕事をいただくようになりました。

―それでは、坂田さんが思う「料理家」とは?

私は、料理家なら、レシピの1行1行に、ある種の哲学や理由がなければいけないと思っています。たとえば、「玉ねぎをみじん切りにする」、あるいは「フライパンを熱して強火で炒める」、「蓋をする」と書くなら、なぜ「みじん切り」にするのか、なぜ「強火」なのか、なぜ「蓋をする」のか、すぐに言えて説明できないと、「料理家」とは言えない。材料や、その調理の方法のすべてに理由、思い、あるいは思い出があって、それを表現できるひとが、私にとっての料理家です。それができないなら、料理家と呼ばれてはいけない、と私は思います。

―料理家にもさまざまなスタイルがあるなかで、ご自身の個性はなんだと思いますか?

「個性」ということなのかわかりませんが、わたしの目指すものは、誰もが知っている定番というのかな、そういう料理をすごく美味しい!! という料理に仕上げたい、ということです。今までの自分の知識や経験、技術を集結させて表現し、「坂田さんの」ハンバーグ、「坂田さんの」唐揚げならぜったいおいしい! と思ってもらえる料理家を目指しています(笑)。

―「基本」や「スタンダード」のアップデートは、すごく難しいことではないでしょうか。

技術と知識は日々磨いていくべき必要な要素です。ただ、技術だけでもないなと思うんです。つくるひとが大切にしている味のルーツだったり、「思い出」もまた、すごく重要なんじゃないかなと思うんですね。

―「思い出」ですか。

今、私がオーナーシェフとしてお店で料理をお出ししている洋食「KUCHIBUE」は、そのメニューの多くが、私が幼少期から家族と一緒に通っていた洋食屋さんへのオマージュになっています。

―そうだったんですね。

そのお店は、独身時代から父が通っていて、母と結婚してからも、私たちが生まれてからも、家族の記念日やお祝いの日になればそこに食べに行く、という洋食屋さんでした。お店の空間や、器やカトラリー、そこへ向かうときの気分や、お皿を囲んでする家族との会話、その洋食屋さんをとりまくものすべてが私の思い出であり、私の幸福になっているんですね。だから、レシピを考えるとき、料理をするとき、自分がどこに到達したいのかは、とてもはっきりしていたんです。

―坂田さんの味のルーツであり目標が、その洋食店にあると。

そうです。すごく個人的なことではあるけれど、そうした思い出が自分の味を支えてくれているな、という意識があります。技術だけでなくて、そういう思いこそが食べにきてくれたひとに共感してもらえる理由なのかもしれないと、最近は思うんですね。時間をかけて自分に染み込んでいるような思い出こそが、料理の説得力になっているのではないかと。

「噴火していないグラタンは、グラタンと呼べない! 
母のグラタンも、浅いグラタン皿にボリューミーに盛り付け、必ず吹きこぼれていました」

きゅっとレモンを絞ったら、風味豊かにからっと揚げたミックスフライをひとくち。
手づくりのタルタルソースを添えて。これぞまさに「ごちそう」。

―料理家は、実用的な「料理の作り方」をただ伝えているのではないと。

食べること、料理をつくることは、生活と切り離せない行為です。生活の仕方は何通りもあるし、そんな幅の広い読者の「何を食べようかな」という気持ちに対し、料理家は提案をします。忙しいライフスタイルの方に向けて、電子レンジを活用して、時短で、より簡単に、という料理を提案する方もいれば、身近な食材でも丁寧につくればこれだけの味にできる、ということを伝えたいと思っている私もいる。こんな外国の料理がある、といった紹介をするひともいます。料理にどれだけ時間をかけるのか、なにを「おいしい」としていくかは、本当にひとそれぞれ。レシピや写真、料理の本によって伝えているのは、技術だけではないと思いますね。

―自分の気分にピタッとくる音楽が見つかると嬉しいし、生活が彩られるように、自分のライフスタイルや、自分の「おいしい」にフィットする料理家さんと出会えることが重要なのかもしれません。

本当にそうだと思います。

―料理家は、「自炊」をアシストする職業だと言い換えることもできそうです。坂田さん自身は、どんなときに自炊をして、どんなときに外食をしますか?

誰かがつくった料理が食べたい! と無性に思う日ってありますよね。自分の家でない場所で食べるのは、気分展開というか、お客さんとしてゆったりとした気持ちを味わいたい、というようなこともあるでしょう。でも一方で、自炊は、身体が心底欲するものにピタッとあったものが作れる。自分の細かな注文にピントをあわせたものがつくれますよね。千切りのシャキシャキしたサラダが食べたいとか、ピンポイントなオーダーが叶う場所が外にないから、自分で作ろう! というか。

―確かにそうですね。

外食は、友人の気分とか、シチュエーションとか、近くにどんなお店があるかとか、いろいろな条件のなかで選ぶわけで、そこに身を委ねる感じが楽しいんだけれども、自炊は、自分に寄り添うというか、「こういうものが食べたい!」に率直に、ピンポイントでつくることができますよね。自炊をするから偉いとか、そういうことはまったく思いません。それぞれの生き方のなかで、その時々にフィットする食事のかたちを選ぶといいと思います。

―最後に、料理家や、シェフとしてお店で食事を振舞っていて、言われると嬉しい言葉を教えてください。

「満腹で動けない」なんか、本当に大好きな言葉ですね。幸せそうに「お腹いっぱいで苦しい!」と涙目になっている表情を見ているのなんて、もう最高(笑)。料理家として、読者のかたが自分のレシピを試してくれたり、お店で、ほくほくとグラタンを頬張っている姿に立ち会えることはものすごく嬉しいんです。私の提案する料理が、誰かの思い出の一部になってくれたらいいな、と思っています。

「まるで小宇宙です」とパフェを語る坂田さんが、
旬な果物をインスピレーションに考案する大人のパフェ。
こちらは「りんごタタン」。どんなパフェがあるかは時期によってのお楽しみ。

苦味をきかせたキャラメルで、
かためな食感の「カスタードプリン」。
洋食を締めくくる定番デザート。

  • 坂田阿希子

    料理家のアシスタントや、フランス菓子店やフランス料理店で経験を重ね、独立。1998年より料理教室「studio SPOON」をスタートさせ、現在、代官山に洋食「KUCHIBUE」を開店し、料理家の活動と両立させている。著書に『洋食教本』、『トマト・ブック』(ともに東京書籍)など多数。