#ART&CULTURE

教科書に載らない歴史に食らいつく!

―歴史家・磯田道史×MHL.外山莉佳子―

好奇心は、現在だけでなく「過去」に向かうことがあります。
MHL名古屋ラシック店で接客にはげむ外山莉佳子さんは、学生時代から大の歴史好き。
しかし、教室で得られる知識には満足ができず、史跡に足を運んだり、戦国武将の実像に迫るテレビ番組にも熱中していました。

そんな歴史オタな外山さんの好奇心をずっと刺激し続けているのが、歴史家の磯田道史先生です。
今回は、そんな2人の対談が実現! お二人の対談から読み取れる、
趣味にとどまらない「歴史の実用性」は日々の生活を楽しむヒントにもなりそうです。

Illustration by Kazuha Maruyama
Edit by Yoshikatsu Yamato (kontakt)

2千年以上前の生活との出会い

外山 私は、学生時代、教科書だけに載る歴史が信じられなかったんです。気になったら実際に行って、自分の目で確かめてひとつひとつ理解する、ある意味要領の悪いタイプでした。磯田先生はテレビでずっと拝見していて、歴史への興味をなんども刺激していただいていたので、お話できるのが嬉しいです!

磯田 ありがとうございます。

外山 まず、磯田先生の「歴史」との出会いを聞きたいです。

磯田 最初は土器でしたね。私は岡山の生まれで、自分が住んでいた地面、自宅が、「津島遺跡」という弥生時代の水田集落の遺跡の上でした。お庭の隅にも、弥生式土器が自然に転がっている、近所で道路工事があっても土器が出土したんですよ。

外山 そんなにラフに出土するんですね。

磯田 ええ。2千年以上前の人々の暮らしの「あとかた」です。それから、ある日、近所にいた高校の先生が「土器の破片が用水路の工事現場で出た」と教えてくれました。

外山 それで現場に行ったんですね。

磯田 はい。見るだけでなく、地表面に散らばった「かけら」を持って帰りました。さらに翌日も行きましたね。ここまでは、子どもなら普通にやりますよね。でも、僕は一歩先に進んでみた。なんと、その土器のかけらを持って、子どものコマ付き自転車で岡山大学に向かいました。勇気を振りしぼって、大学のビルに入り、なかにいた大人をみつけて一生懸命に、言いました。「近藤義郎さんという考古学の先生に会わせて欲しい。この土器がなんなのかを知りたい」と。今思えば、ここが大事でした。土器に感動しているだけでは、その先の発展はありません。感動すれば、自分で行動を起こす。とことんまで、調べようとした。

知るためならどんな行動にも出る

外山 教授には会えましたか?

磯田 いや。アポなしだったので、お留守でした。助手さんか院生さんだったかが、研究室の中にいて「今はいない」と言うわけです。小学生がドア前に突っ立っていて、ビニール袋に土器を入れて持って、いきなり教授に会わせろ、というのだから、助手さんも驚いたでしょうね。きっと。でも、やさしそうな大人の女の人だったから、かわいい子が来たと思ったに違いありません(笑)。

外山 好奇心に溢れた少年が土器を手に研究所のドアを叩いてきた。

磯田 助手さんは本に埋もれていましたね。その光景だけでも子どもには面白かったです。後日、近藤先生(当時、岡山大学文学部教授)から、ちゃんとしたお手紙をいただきました。「あなたの持ってきた土器は室町時代の灯明皿です」という内容で、きちんと質問に答えてくれていました。僕は大喜びでした。歴史漫画に出てくる人たちが生きて使っていた時代の物を直接手にしたとわかって興奮しましたね。

外山 まさに歴史との出会いですね。「灯明皿」とは、どんなものですか?

磯田 現代でいう室内ライトですね。その時代に照明器具があったということは、暗い場所で本を読んだり、お経をあげたり、ご飯を食べたり、「夜」のライフスタイルがあった、ということです。つまり、一程度の豊かさがあった。

外山 土器の破片から、いろんなことがつながっていく。

地下から、空へ向かった興味

磯田 人間は基本的に「今」しか見えないですよね。映像はありますが、変形された過去です。もちろん、将来も見えません。推測はしますけど。だから、せいぜい、自分で体験できる時間は100年前後くらい。「この肉体は100年以上の時間の単位を経験できないんだ」。子どもながらに、とても衝撃を受けましたね。

外山 それが歴史少年の誕生でしょうか。

磯田 分かりやすく言えばそうかもしれません。しかし、そこから考古学=土のなかの学びへ向かうかといえば、関心は逆方向にいきました。天空へ向かって、星を眺めるようになったんです。理由ははっきりしています。要するに、天体は、確実に見える「過去」です。たとえば、太陽の光が届くまでには8分かかる。となると、僕らが見ているのは8分ちょっと前の太陽でしょう。月だって僕らは1.3秒前の月をみています。

外山 そうですね。なんだかドキドキしてきました。

磯田 僕はいわゆる「歴史少年」ではなかったんです。お城が好きで写真を撮って「お城帳」を作って、というような。土器や星を見て「本物の過去だ!」と感動し、ひたぶるに考え込むタイプだった。当時は動物図鑑も見ていたし、望遠鏡を自分で作るほどの天文オタクでした。野菜栽培もやれば、生き物だって飼う。野球もしていました。正直なところ、子どもが興味を持つようなことは全部していました。そんな僕ですが、ちょうど今日50歳になるんです。

外山 なんと。おめでとうございます!

教科書に載らない歴史

磯田 外山さんは、さきほど、「教科書だけの歴史が信じられなかった」とおっしゃっていましたね。僕も同じです。学校の教室の中だけで満足していたら歴史学者にはなっていないので当然のことですが。

外山 恐縮です。

磯田 本流からこぼれ落ちる記述や視点は、常にあるものですよね。

外山 磯田さんは、近著の『感染症の日本史』(文春新書)で、無名の人物が残した日記に焦点を当てていたのが印象的でした。本のなかでは、ひとりの個人が残した参照先を「ミクロヒストリー」と呼んでいますね。

磯田 たとえば、アングローバル史といった「社史」、あるいは「日本史」は、犬や猫の目から見て実体でしょうか? 団体は建物や看板にしない限り、目にみえる実体ではない。犬や猫はアングローバル(社)の建物は物体としてはわかりますが、アングローバル(社)の団体としての概念は理解できません。この人が「社長だ」といっても、「社」がわからないから、ただのオジサンにしか見えない。ですから、団体の歴史はホモサピエンス以外の動物にはわからない。実体ではないわけです。ただ、僕らホモ・サピエンスの特徴は、団体を精密・大規模・長期に形成するところにあります。ですから大きな団体の歴史、日本史といった「マクロヒストリー」の勉強は必要ですが、やはり、どこか実体からはかけはなれた「フィクション」の面があります。こんな歴史ばかり勉強していると、必ず、漏れる視点も出てきます。

外山 ですね……。

磯田 個人といっても、いろんな人がいますよね。個人は生物の個体ですから、ものすごい具体性があります。歴史学者としては個々の人々の「ミクロヒストリーズ」と、その集合体である「マクロヒストリー」を行き来しながら因果関係を考えるのが、歴史をさぐる方法としては正しいだろうと思っています。

「歴史」は「実用品」である。

外山 個人の視点と俯瞰の視点を行き来しながら因果関係を考える、というのは、「歴史」以外にも応用できそうです。

磯田 なぜそうなるのか、条件や前提を突き詰める思考です。自説についても他説についても、それがよって立つ条件や前提条件を1個ずつ丁寧に考える。足りない情報があれば、子どものころに、大学教授に会いに行ったように、灯明皿が出土した岡山市一宮地区の辛川橋まで自転車で行ったように、必ず元へ返って、現場・現物・実物・実態を調べる。これを大切にしています。

外山 磯田先生の、時間をかけて、自ら動き追求する姿勢をこれからも見習いたいです。

磯田 僕は、「歴史」は「実用品」であると、これまでにも言ってきました。ここでいう歴史とは、過去のことです。あらゆる物事には、積み重ねがある。そうしたさまざまなレファランス(参照元)は、われわれが生きているこの時代にも活用できる「実用品」なんです。

伊達政宗のパフォーマンス

外山 今、磯田先生にとって興味深い戦国武将がいたら聞いてみたいです。

磯田 戦国武将を考えるうえで補助線を引くならば、現代的な人とそうでない人、という分割線を引いてみると、面白いかもしれない。伊達政宗は比較的現代人に近いと思いますね。

外山 それはなぜでしょうか?

磯田 彼は象徴的なものによって思考をしていたと思うんです。いわば、彼らは、ブランド物に反応する。共通して、和歌を大事にしていた人たちですね。

外山 伊達政宗については、豊臣秀吉との謁見の場に白装束を着て行ったというエピソードに驚かされました。

磯田 彼は秀吉が「パフォーマンス」好きだったということを、よく読んでいたんじゃないかな。

外山 でも、死装束で行くのは変ですよね。

磯田 そうそう、合理的に考えるとおかしいですよ。でも、そうすることで、そこから「死」を連想させて覚悟を示す。彼はとことん「象徴性」の人なんです。内装のデザインや、自分のファッションにもこだわりがあったと思いますね。それとは反対に、とことん即物的な人物も興味深いかなあ。僕は「名古屋即物主義」とくくっているんですけど。

京都に比べて、名古屋は合理的?

外山 私、生まれが名古屋で、今も住んでいるんです。

磯田 そうでしたか。名古屋には合理主義を感じます。代表的なところで言えば、それこそ秀吉や織田信長でしょう。彼らは象徴よりも「実利」ですよね。鍛冶屋が、刀の美しさ、刀工の由緒を、プレゼンしても彼らはたいして反応しないと思いますが、よく切れる、深く突き刺せる、と聞けば、身を乗り出す。そういうことです。

外山 なるほど。

磯田 対照的に、僕が住んでいる京都は、象徴の街です。要するに、「都であること」をさまざまな方法で誇る。他のところとは違い、価値がある場所なんだぞ、というお芝居をして、年貢をはじめ、貢ぎ物を持って来させることに成功しました。そのための道具立てが、奈良や京都の寺院だと考えることもできますね。大仏みたいなものを造るのは、即物的なコスパでいえば、あわない。でも、「すごい大仏があるぞ。これは全国民を救うありがたい仏(象徴物)だぞ。ありがたいだろう。だから、お寺に年貢米をさしだすのは意味のあることだぞ」と、日本中にアピールする大芝居を打つと、農民たちも納得して「すごい大仏のお寺に作ったコメを年貢として納めなきゃいけない気分」になって、おコメをお寺に運んで行った(笑)。こうして象徴(シンボル)が実利を動かすわけです。

答えではなく問いが見つかる史跡探訪

外山 名古屋即物主義の私は、城跡や史跡など、自ら現場に行って知識を得るタイプです(笑)。ガイドさんの話が理解に役立ったり、自分の体験から想像をふくらませたり。磯田先生は、言葉で記述されたものと、現場との違いはなんだと思いますか?

磯田 現場に行ったとき、最初の印象が足元から崩れるのが快感になってもらいたいです。思い込んでいたものが、実は違う。現場に足を運ぶのは、その「差分」を見に行くためなんですよ。大げさに言えば、それこそが人生だとすら思います。

外山 答え合わせではないんですね。

磯田 現場に足を運ぶと、周辺にあるものがいっぱい目に入ってきます。たとえば、明智光秀が10年住んだと思われる福井県の寺へ行くとする。その境内に、石碑が1本立っているのを発見しますよね。新田義貞公墓所という碑です。それを見ると、明智は、新田義貞の墓の前で10年も暮らしたんだ、ということが分かる。すると、明智は新田の生き方に影響を受けた可能性がありますよね。古文書にそうした記述が残ってなくても、彼らが接続されます。本を読むだけでは、つながらないモノやコトが、つながります。

外山 明智光秀といえば、私は京都にある彼の首塚に行ったことがあります。実は、彼の首塚は各地にあって、本当のところは分からないんです。諸説ある、という状態ですね。ただ、現場に行くと、ここかもしれない、いや、あっちかもしれない、と、自説に進歩があります。たったひとつの真実が分かる楽しみというよりも、いろんな仮説が自分のなかで生まれてくるのが面白いんですよね。

磯田 そうですか。

外山 私は明智の首塚のほど近くに饅頭屋さんがあることを、行って初めて知りました。ちなみに、そこで売っている明智饅頭は絶品です。話を聞くと、饅頭屋さんの方は、父や母に、ここは明智光秀さんが死んだところだから、しっかりお参りするんだよ、と言われてきたと。現場でそう聞くと、急に実感が湧いて、ここに違いない! と確信を抱いてしまったり。

墓と焼き鳥

磯田 武将の墓に行って、たとえば横に焼き鳥屋があって、焼き鳥のタレの香ばしい匂いがずっと蔓延しているとします。それだけで、ストーリーになりますよね。俳句の1つでもひねれるわけですよ、人間の脳っていうのは。

外山 現実の体験だけでは、そうはならないですよね。その場所の過去の出来事が現代の時間に重なってこそ、面白く感じられるというか。

磯田 「その悲劇の武将の墓は焼き鳥のニオイに包まれていた」。これでもう、立派な書き出しになります。文学になります。現場に行くと、自分はどこを取り出して物事を考えて、どこを切り捨てていたかに気づく。その「差」こそが、また次の探求の足取りに向かわせるきっかけになるんですよね。

外山 今はなかなか遠出が叶いません。でも、今日お話しを聞いて、インプットに励みたいとあらためて思いました! 今日はオンラインでの取材、ありがとうございました。磯田さんといつか、史跡で会えることを願っています。

磯田 こちらこそ、どうもありがとうございました。ではまた。

  • 磯田道史

    1970年、岡山県生まれ。歴史家。国際日本文化研究センター准教授。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。『武家の家計簿』(新潮新書)で新潮ドキュメント賞、『天災から日本史を読みなおす』(中公新書)で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。近著に『歴史とは靴である』(講談社)、『感染症の日本史』(文春新書)など。

  • 外山莉佳子

    アングローバルに入社して7年目。MHL名古屋ラシック店にて店長を務めるかたわら、趣味は大好きな歴史ひとり旅。テレビや雑誌で情報収集をしては現地に赴き、戦国時代とその武将たちに思いをはせるのが至福の時。好きな言葉は義理と人情。