#ART&CULTURE#ARCHTECTURE

都市の風も吹き抜けた海辺の家

建築家 伊東豊雄のシルバーハット 後編

VOLUME.2

テントのような家が海に向かって佇んでいる。
1984年、バブルに沸く東京に築かれたこの小屋は伊東豊雄さんの自邸。
いや、正確には元・自邸である。住まいとしてのつとめは終えたものの、
瀬戸内海に浮かぶ大三島に再建されて、今治市伊東豊雄建築ミュージアムの資料室、
演奏会や建築のワークショップをおこなう場所として2011年にオープンした。
人や空間を仕切る壁が極端に少なくて、ちょっとふしぎな海辺の家。
軽やかで、すかすか。折りたたんでポケットに入れても重たくはなさそうだ。
なにかと「壁」が多くなってしまった時代の身体感覚に、それでも寄り添い、
ひとりひとりと社会、そして自然とをつなげる建築の底力を伊東さんに聞きました

Photography by Yurika Kono
Edit by Yoshikatsu Yamato (kontakt)

壁が少ない伊東建築

伊東さんの建築は壁が少ないイメージがあります。〈シルバーハット〉に限らずですが。

少ないですね。

「壁」は伊東さんにとってどういうものなんですか?

壁で仕切られた空間はちょっとそこで子供が声を出すと「うるさいなあ」というふうになってしまいます。たとえば、劇場などでも、すこしでも咳をすると気になってしまうような緊張感がありますよね。一方、屋外ならノイズは入ってくるけれど、それは当たり前ですし、音楽だって気楽に聴けるわけです。そんな外に近い空間を建築でつくりたい。そうすると、壁はどうしても少なくなっていくのですね。

これは、今、伊東さんにインタビューをしたいと考えた理由の1つでもありますが、新型コロナウイルスの感染防止のため、さまざまな空間で人と人の間を仕切るパーテーションが立てられたり、「分断」や「隔離」は物理的にも心理的にも身近になりつつあります。こうした状況について、伊東さんはどう感じているんですか、ひとりの個人として。

ときどき外食をしたり、打ち合わせなどでオフィスを訪れたとき、目の前にアクリルのパーティションが立っているのは気持ちとしては嫌で嫌でしょうがないんです。透明であれば視覚的には確かに向かい合っていられるんだけれども、僕にとってあれは「壁」なんですね。建築においてもガラスを使えば開放的だ、というようなことがありましたが、僕は、透明のガラスは壁以上に壁だと思っています。

透明であることで、かえって仕切りとしての存在は際立つような……。

人の集まる場所をつくる仕事

もともと、建築家は人が集まるための場所をつくる仕事です。だから今、集まるなと言われると、もうやることがないというか、落ち込んだ気分になってしまうこともあります。こうした状況で公共建築がクローズしてしまったことには疑問を感じていますし、なにか工夫を考えてオープンして欲しいと感じていますね。

伊東さんは、美術の展示や映像のアーカイブ閲覧、図書館などが複合的に合わさった〈せんだいメディアテーク〉など公共施設を多く手がけていますね。

図書館はこういうときこそ行きたい施設ではないかと思います。本を読みに行くだけでなくて、行き帰りでコーヒーを飲んだり、その道すがら顔見知りに会って挨拶をする。そういったことでなんとなく安心する、という人がいらっしゃるのではないでしょうか。日本の場合、特に都会の暮らしは率直に言って住環境が豊かであるとは言えません。だから、住宅はコンパクトでも飲食店や公共施設などをうまく利用してきたわけですが、この状況です。公共の場はこういうときこそ受け入れ先として活躍できるよう、なにか考えて欲しいと感じました。

東京では「昼間は外で過ごして、帰って寝るだけ」と自宅を位置付けて家を選んでいる方も多いと思います。しかし、それがテレワークなどに対応できないと感じたり、より逼迫した理由などもあって、首都圏には集中しているものの、東京23区からの転出者は増えているようです。

僕は住宅にしても、図書館や劇場でも「自分で居場所を選べる」と感じられる空間にしたいといつも心掛けてきました。壁をできるだけ少なくして、外にいるように感じられる空間をつくっておけば、自由に歩き回って自分の好きな場所を選べる。内部に、自然がよみがえるような建築を造りたいですね。

機能や利便性に沿った導線で壁で仕切った場所に向かうのではなく、自分にとって落ち着けそうな場所を自分で探して選べるような空間ですね。

それはまさに〈せんだいメディアテーク〉で意識していたことです。この建物にはサインもあまりありません。部屋は分かれてないし、分かりにくいという意見が出るかと思いましたが、そうではありませんでした。人もまた動物で、トイレがありそうな場所はなんとなくこっちだろうと本能的にかぎつける。できてみると、僕らが心配してたようなことは意外となんでもなかったのですね。

サインや看板が至るところにある。それが便利な状況もありますが……。

都会の地下がその典型かもしれません。張り紙やサインがないと、向かうべき方向がわからなくなる。情報によって動くしかないので動物的な勘を働かせる余地はないわけです。

言われてみれば、地下鉄の乗り換えは「移動」に特化した時間ですよね。目はスマホで電車の乗り換えを気にしながらSNSをチェックする。耳は、イヤホンなんかをしてストリーミングサービスで音楽を聞いていたりして、地下のなかでもあるし、自分の身体とリアルな空間との関係は希薄だと思います。人と関わる機会が減ったり、自宅や仕事場以外の場所に行く時間が減った今、都市では、自分の身体の位置が捉えづらいような感覚もあります。

若いときは僕も、「消費の海に浸らずして新しい建築はない」と書き付け、情報をキャッチしながらノマドのように動き回っていました。でも、今は都会にいると、自分の動物としての身体が失われて情報だけを頼りに生きるようになってしまうと感じています。

しかし、では自然にもどろう、ということであれば「建築家」と関係のない話になってしまいませんか?

建築によってどれだけ動物的な感覚を取り戻せるか、これが僕のやるべきことだろうと思っています。

〈シルバーハット〉は、隔離や分断の起きる時代の方向性と、すごく単純に言えばですが、逆行しているかもしれません。しかしだからこそ、今まさに求めているものというか、コロナの時代の感性に風を通しつつ、寄り添ってくれる建築ではないかという気がしています。

自然を敵だと思って克服しようとしても絶対にかなわない。つねづねそう思ってきました。人間もまた自然の産物で、他の動物と変わらない。植物ともそんなに違わない。やっぱり自然の中のある部分でしかないんだということをこの頃あらためて感じるようになりました。そこから建築がどうあるべきかもまた考えられると思います。近代建築が目指した、人間だけが自然を切り取って都市をつくったり、自然をコントロールできるかのような建築をつくりそこで生きていられると思うのは間違いなんだと、コロナ禍のなかでとても感じますね。

建築はスケールが大きいものです。だから、なかなか自分の身体が関われない、と感じてしまうこともあり、動物的な感覚はストップしてしまうのかもしれません。しかし、伊東さんのお話から、与えられている住空間や公共空間、都市を、しっかり自分の感覚と結びつけて、気持ちよく過ごせる場所を探したり、ときには批評的に捉えるのが大事かもしれないと思いました。前編からもキーワードになっていると思われる「動物的な感覚」は、日々の生活のなかでどのように意識することができるのでしょうか?

「原風景」といいましょうか、僕は建築を考えるにあたって自分が子供のころ自然のなかにいたということが、なんらかの影響を持っていると最近思っています。みなさんも、それを振り返って思いを巡らせてみる、というのはひとつあるかもしれません。

まず、伊東さんの原風景について聞かせてください。

僕が育ったのは長野県の下諏訪で、湖のすぐ近くでした。周囲は山に囲まれている盆地ですね。僕の家は庭と諏訪湖がほとんど地続きでした。毎日、湖を見ながら暮らしていましたね。

―湖の景色が、伊東さんにとっては原風景なんですね。

諏訪湖はほとんど波が立ちませんから、その「静けさ」がいまでも自分にとって大事だと思っています。また、盆地で山に囲まれているというのはお茶わんのなかにいるような感じですね。外側が見えないわけです。そういう内部感覚も、若い頃に感じたことかもしれません。

原風景は、からなずしも生まれ育った家からの風景、だけでもないかもしれませんね。子供のころ、意識せずとも足繁く通っていた遊び場とか、駆け回っていた原っぱや田んぼなど、無意識にすごしていた場所を振り返ると、自分にとって「心地良い」場所を考えるヒントがあるのかもしれません。

さいごに、シルバーハットが愛媛県今治市の大三島に移った経緯を教えてください。

同じ大三島にある、現代美術のミュージアムである「ところミュージアム」のアネックスの設計依頼を所敦夫さんからいただいたのがきっかけです。そのプロセスのなかで、僕が若手建築家の育成を考えているという話をしました。すると、それならばその拠点になる場所にしたらいいとおっしゃってくださって、「今治市伊東豊雄建築ミュージアム」の構想が出来上ったのです。〈スティールハット〉は展示のための空間になるので、もうすこし、人が集まってイベントなどもできる休憩所のようなスペースがあるといいと思って、〈シルバーハット〉がいいんじゃないかと思い至りました。

中野の〈シルバーハット〉には、いつ頃まで住んでいたんですか?

2010年頃です。ちょうどそのころには、妻が亡くなり、娘が結婚して出ていって、大掛かりなメンテナンスが必要になっていました。それならば、大三島に移設して公共の建築にしてオープンにしたほうがいいんじゃないかと思い、市が敷地となる土地を買い足してくださったので僕の資金で建設をして、市に寄贈しました。真っ正面に瀬戸内海の海がきれいに見えて、もともとここにあった方がふさわしいような家だった、と感じました。娘もそう言ってましたね。

ミュージアムの完成は2011年なので中野のほうの取り壊しとほぼ並行して、ミュージアムのほうにシルバーハットが再建されたんですね。

かなり古くなっていたので、そのまま移すことはできませんでした。屋外部分が多くなっています。

建物の中に入っている、という感覚があまりない空間だと取材の際に思いました。目の前に瀬戸内海が広がっていて、山のほうからは鳥の声が入ってくる。静かな海では、船が跡を残しながら通過していきます。時間がゆったりと流れるようでした。

中野にあったときも、天気がいい日は気持ちいいし、雨の日は雨宿りをしているような家でしたね。

ときどきであっても、都市のルールや情報に動かされるのではない時間の過ごし方ができるといいですよね。それは必ずしも、自然のなかに出かける、とか、特別な建築に行くのではなくても、都市のなかでも、自分が落ち着ける場所を見つけたり、日常のなかで、ふといつもよりも動物的な感覚で生きられたりとか、そんなスポットがあるといいと感じました。

大三島に事務所のスタッフと行ったとき、みんな、時間の感覚が違う、と感じたようです。

ミュージアムに常駐している今治市の職員で専門員の山田さんは、東京で生まれ育ち、今は大三島に住んでらっしゃるとお聞きしました。東京では人がたくさんいて、出会いがたくさんあって、ものごとが交差し合っていて、それはそれで好きだけれども、ときどき「すれ違っているだけ」だと感じることもあったそうです。

そうですか。

住まいの観点では、東京は「家」というのが自分の部屋に集約されているけれど、大三島での生活では、外にも家みたいな場所がところどころにあり、感覚的に、自分が家だと感じられるプライベートな範囲はむしろ広がっているとおっしゃっていました。

彼女はすぐに戻ってきてしまうのではないかと心配していましたけれど、かなり長くいてくれますね。

―7年になるとおっしゃっていました。

嬉しいですね。

〈スティールハット〉では企画展が開催され、〈シルバーハット〉では、伊東さんの関連書籍や、図面のアーカイブが閲覧できるようになっていますね。

建築のプロジェクトだけでなく、家具や食器、照明器具といったプロダクトデザインの図面や舞台の仕事の資料もあります。

コンペティションの応募案も収蔵されていると聞きました。

そうですね。学生や研究者の方々がここで学び、新しい建築を考えてくれたら嬉しいですね。

〈シルバーハット〉ではワークショップのほか、演奏会を行なったとも聞きました。この空間で音楽の聞くのは、すごく気持ちがよさそう。いつか行ってみたいと思っています。

今治市伊東豊雄建築ミュージアムについては、こちら

  • 伊東豊雄

    1941年生まれ。建築家。東京大学工学部建築学科卒業後、菊竹清訓建築設計事務所を経て、1971年に独立。日本建築学会賞、ヴェネツィア・ビエンナーレ金獅子賞、プリツカー建築賞など受賞多数。主な作品は「せんだいメディアテーク」、「台中国家歌劇院」(台湾)など。2011年には、私塾「伊東建築塾」を設立し、未来の建築を考える教育の場として活動を行う。また、自身のミュージアムが建つ愛媛県今治市大三島では、塾生有志や地域の人々とともに継続的なまちづくりに取り組んでいる。