#ART#CURATION

ART FOR EVERYONE

あなたとアートの関係を示すために

VOLUME.3

美術館に所属せず展覧会を企画し、その実現まで、
作品の読み取りやアーティストとの対話を重ねる「インディペンデント・キュレーター」。
若手ながらも数多くの展覧会を企画している長谷川新と、
90年代の日本アートシーンを第一線で走りながらも渡米、臨床心理士の資格を取り、
新たなアートのアプローチを探る西原珉。
「アートは生活と切り離されたことなんてないし、今もその関係は続いている」。
アーティストと私たちの間で動きまわり、「共有」の方法を探る彼らに、
自身の経験を踏まえながら、「キュレーター」とは何か、話を伺った。

Photography by Yuri Manabe [portrait], Toru Oshima [books], Atushi Kumagai [exhibition]
Edit by Yoshikatsu Yamato (kontakt)

ここまでの連載記事では、インディペンデント・キュレーターのお二人が、どのような作品と出会ったことでアートについて知り、関係を築いてきたのかを伺ってきた。

第3回では、さらに「キュレーター」という役回りにフォーカスする。アーティストとは異なり、作品を自ら制作することはない彼ら。膨大な作品の持つ意味を丹念に読み解き、選び、組み合わせ、展示会を企画してきたお二人の話は、アートの領域に限らず「キュレーション」という言葉がしばしば聞かれる現代において、さまざまな応用が可能だろう。

長谷川 さて、「キュレーター」という仕事についてです。

西原 私たちの場合、そこに「インディペンデント」がつきますね。

長谷川 まず、「学芸員」との違いについて言っておく必要があるかもしれません。

西原 そうですね。学芸員さんは博物館法という、法律にもとづいて規定された職業で、仕事の内容は、作品の保護や管理、調査研究、修復、つまり、作品をきちんと未来に残すことが第一です。

長谷川 所蔵作品の「共有」の手段として、美術館での展覧会がある。逆に言えば、展覧会をすることは多種多様な学芸員の仕事のひとつに過ぎません。

西原 はい。「キュレーター」の仕事は作品管理というより、企画の舵取りをメインに行うポジション、という感じですかね。

長谷川 大前提として、インディペンデントキュレーターは所蔵作品の研究や管理がすっぽりと抜けているので、今生きている、生身のアーティストとかとやり取りをしていくことにウェイトが大きくなってくる。もちろん今は、美術館でも、作家と一緒に新作を作るケースも増えてはいますが。

西原 私がキュレーターとして活動をはじめた頃、今でいう「ギャラリー」は日本になかったんです。その当時は「貸画廊」というシステムがあった。

長谷川 作家はお金を払ってそのスペースを借り、展示をするんですよね。

西原 そうです。一週間で10万円とか20万円とか。私がキュレーターになったのは、展示場所をはじめとする制度の転換期で、必要に迫られて始めました。当時、バブルが崩壊して見せるスペースがなかった。これまでにお話にも出てきた村上隆さん、会田誠さんさえも見せるところがない。

長谷川 過渡期ですね。

西原 でしょうね。それならばと、銀座の歩行者天国で自主企画の展示、パフォーマンスをやりました。私も作品を出したりして。それが中村政人さんたちディレクションの「THE GINBURART(ザ・ギンブラート)」です。美術館でやるチャンスはまだなかったし、オルタナティブスペースもなかった。バブル期に出現したスペースもクローズしてしまった時期です。それなら路上だと。銀座は貸画廊がたくさんあった場所です。

『ザ・ギンブラート』 駐車禁止/鍵穴型01, Masato Nakamura, 1993

長谷川 小沢剛さんの「なすび画廊」は「THE GINBURART」に際して作られた、制度の転換期と呼応する作品ですね。

西原 はい。芸術作品というものは、さまざまな判断と選択を経た形式と素材を用いて、ある時代をぎゅっと凝縮して具現化させることがあります。凝縮といっても、凝り固まった感じではなくて、それには現在進行形の「ふるえ」が含まれる。そういうものを共有するというときに時間貸しの有料スペースしかない、というのは危ういですよ。その後もいろんな人を口説いてまわって、同世代の池内努さんが大森の倉庫を改装して、「レントゲン藝術研究所」を開けました。レントゲンには村上隆さん、会田誠さんや小沢剛さんはじめ、当時、展示の機会を求めていた若手作家を受け止めてもらい、展覧会を行ったんです。

長谷川 ただ展覧会をやるのが目的なんじゃなくて、ある自立したシステムを立ち上げる、というのがポイントですね。

西原 まさにそうです。私はそうしてオープンにこぎつけたアートスペースの熱気や集客をアピールしなければダメだと思って、自らも海外から買い付けてきた服でドレスアップしたり、田中敦子インスパイアの「電気服」つくったり(笑)。オープニング前には徹夜で招待のファクスを送ったり。レントゲンは、夜になるとクラブとしても盛り上がっていましたね。なんというか、良い意味でその場所の性格が固定されていなかったのが良かった。漫画家の岡崎京子さんがレントゲンのことを『リバーズ・エッジ』に書いてくれたのも嬉しかったです。それを見て、また人が来たりして。

長谷川 とてもいい循環が生まれていたんですね。

西原 そうでしたね。美術館にだって、若手にチャレンジさせる小さなスペースがあります。でも、少ない予算でそこでやったとしても、大きなことはできないことが多い。それなら、若手がやりたいことを受け止めてくれて、それを最大限できるようにプロデュースする伴走者が必要になる場合が多いと思います。キュレーターは必要がないようでいて、やっぱり必要のある職業じゃないかと思います。なくても困らない。でも、手探りの途中である若い作家は困るかもしれません。

長谷川 そうかもしれません。みんなもっとキュレーターと組んでガンガン一緒にやればいいのに、と思ったりもします。

西原 それにしても、私たちのメインフィールドである「展示」は、終わるのがいいよね。

長谷川 それすごくわかります。一時的なところがいい。

西原 ですよね。

荒木悠〈Stray Dogs〉 制作1947–52年、発表2017年/可変/ メイド・イン・オキュパイド・ジャパン製陶器、ダンボール箱/作家蔵 長谷川新キュレーション「クロニクル、クロニクル!」より

長谷川 放っておくと頭の中だけでどんどん膨らんで逆に動けなくなっちゃう状態から、一度形にして有限化してみるということが大事なんでしょうね。始まりがあって、終わりがある、と一旦考えてみることで可能になることがある。

西原 そうですね。

長谷川 西原さんが活発な動きをしていたときの理想像というか、イメージしているキュレーター像はどんな人だったんでしょう。

西原 そうですね、自分では「ヤン・フートショック」と呼んでいる事件があるんです。現代アートと出会いたての頃、私はずっとアーティストが好きだったけれど、あるとき「キュレーター」に出会いました。それがヤン・フートです。彼はカリスマ性のあるキュレーターで人を触発する能力があって、たぶんその能力を最も発揮していた時期に出会ってしまったんでしょうね。生でその仕事を見たとき、「自分もキュレーターになりたい」と思ってしまった。この深い泥沼にはまったきっかけです(笑)。

長谷川 出会ってしまった。

西原 ヤン・フートは、いわば「歩くエネルギー体」です。300mぐらい遠くにいても、「居るな!」とわかる(笑)。彼は絵も描いていたらしいですが、途中、自分には才能がないとわかったと言っています。ボクシングもやっていた時期があって、そのせいか、フランドル・アクセントの英語で喧嘩するみたいに喋る。見ていると、アーティストも彼には「挑んで行く」姿勢をとる。そうさせることがまさにキュレーター的だとも言えます。対話を重んじるタイプで、とにかく大声でずっと喋っていましたね。でも、見る目はあって、そこはすごく信頼できました。

長谷川 やばい人だったんですねえ。

西原 私が実際に目撃したものでいうと、シドニーのビエンナーレで、野外パンテノンみたいな階段の劇場をつかって、スタン・ダグラスというアーティストが朗読するパフォーマンスがあったんです。すごく美しかった。月明かりのなかで、スタンが独特の声で朗読をするんです。こんな美しいパフォーマンスはたぶんもう見られないだろうな、という感動があって、ハッと最前列を見たら、ヤン・フートが眠りこくっていた(笑)。ぐーすか寝てる。そのとき、多重の感動が押し寄せてきたんです(笑)。若き日の自分は心揺さぶられました。こういう人になりたい、と。とても自由なんです。

Stan Douglas, Hasselblad Award 2016 (2016, MACK)

長谷川 いい話ですね(笑)。

西原 でも、もちろん彼は勇敢で誠実な人物でもあります。キュレーターは、制度的ないろんなしがらみに遭遇してしまう立場ですが、そのしがらみを直視して、そこから自由になるためにヤン・フートは戦ったし、アーティストのために戦ってくれる人だった。

長谷川 かっこいいですね。

西原 そうですね。彼はアーティストを見るとき、もちろん作品も見てはいるんだけど、作家本人と対面して、馬の毛並みを見るように見ます。こいつはよく走りそうだな、みたいな。それを見るために、顔はものすごく近いところまで近づけてきて喋る。それに気圧されないとか、そういうところで見ている。エネルギーとエネルギーのぶつかり合いというか。

長谷川 なるほど……。

西原 彼は記念碑的な展覧会をいくつも作っていて、特にすごいのが二つあります。一つは1986年の『Chambres d’Amis(シャンブル・ダミ)』。訳すと「友達の家」という展覧会です。その頃、彼はベルギーのゲント美術館にいたのですが、地元の人に声をかけて、実際に生活が営まれている家やアパートの一室に一流のアーティストを送り込んで作品を設置しました。ジョセフ・コスース、ダニエル・ビュレン、ボルタンスキーなど、日本でも企画展が開催されるような人気の作家たちを集めていました。これって、今ある流れの走りですよね。

長谷川 そうですね。展示を、作品を置くための場所である美術館ではなく、かといって路上といった公共的な場所でもなく、さらに踏み込んでプライベートな「家」に置いて観客に開く。

西原 長谷川さんはキュレーターを志した、何か事件みたいなことってあるんですか?

長谷川 まず、就活に出遅れた、ということがあります(笑)。僕は文化人類学の専攻だったので、卒業論文はフィールドワークが必須だった。一定期間どこかに滞在して論文を書かないといけない。この仕組は著しく就活と相性が悪い(笑)。僕は直島に滞在した結果、就活ができなかった。とはいえ、器用な同級生はうまいことやってましたけど。

西原 そうか。

長谷川 大学院を受けたけれど、落ちてしまって。どうにか環境NPOに拾ってもらって就職をしました。そこでの経験は得るものがかなりありましたが、退職をして、貯金でドイツに行ったんです。そこでドクメンタ13を観ました。それにめちゃくちゃ衝撃を受けたんですよね。でも、同時に、本当に傲慢に聞こえると思うんですが、これ自分もできるな、と思ったんです。

西原 なんと(笑)。

長谷川 分かった、というのは勝手な思いこみだったわけですが(笑)。で、帰ってきて、夜は塾の先生をしながら、突如インディペンデント・キュレーターを名乗って日中や深夜にアートの仕事をする、ということをやり出したわけです。

西原 そうだったんですね。

長谷川 聞きたいんですが、人物としての魅力のほかに、西原さんがヤン・フートというキュレーターから学んだものはありますか?

西原 彼は作品を選ぶ鋭い視点もありますし、コンセプトづくりもうまかった。だけど、コンセプトが素晴らしいキュレーターは他にもいる。ただ、彼の場合はその実現化が徹底的なんです。斬新な展示方法を試みていた。そして、空間のセンスもある。あとはなんといってもアーティストとの結びつきですね。アーティストとどんなコネクションをしているか。

長谷川 コネクションとは?

西原 「キュレーター」というのは、アーティストのポテンシャルを引き出す人だと思うんです。作家とつながって、どうその作家のポテンシャルを活性化させるか、というか。

長谷川 なるほど。

西原 アーティストは、それぞれにブラインド・スポットがあると思います。私は、作品作りのある段階で作家と関わることで、彼らの視点がほんの少し変わればいいなと思っています。あとは伴走者として、モチベーションをアーティストに与えられる人でしょうかね、キュレーターは。

長谷川 僕は「個展」ってどうしたらいいのかずっとピンと来なくて、避けてきたところがあるんですよね。必然性が感じられたらやるぞ、という感じでずっと待っていた。来年ついにやるんですけど(笑)。で、どちらかというと、今まで僕はいろんな複数の時間の流れが並走している空間に関心があったんです。「今は今ではないし、過去は過去ではない」ということを結構シリアスに考えてる節があります。2016年から2017年にかけて、「クロニクル、クロニクル!」という、同じ展覧会を2度繰り返す展覧会をしたんです。そこで考えていたことも、繰り返すこと、繰り返されることを複雑なまま示すことだったように思います。アーティストも、僕と同世代の作家から、中堅、キャリアを積んだ方、物故作家と様々で、リュミエール兄弟の「工場の出口」(1895年)や、日本初のFRPマネキンも展示しました。そう、会期中毎日イベントをやって、何度もガイドツアーも行ったんですが、それはヤン・フートにかなりインスパイアされてましたね。

左:大森達郎〈PWS-5〉1968年/ FRP製マネキン/株式会社七彩蔵
右:牧田愛〈断片 01909〉 2016年/ 2060×2000 mm /油彩・パネルに布
長谷川新キュレーション「クロニクル、クロニクル!」より

西原 長谷川さんはそういった幅のある人を集めた展覧会をやっているイメージがあります。

長谷川 さっき言ったように、複数の時間が並走してる、とても特殊で、でもとても当たり前な空間を作り、それを通して考えていきたいという気持ちがずっとあります。一方で、コンセプトがどうとか、かっこいい空間がどうとかいうはるか手前(もしくはずっと未来)のことに関心がかなりシフトしています。それこそ予算だったりアーティストが制作に集中できる環境を整備することだったりとか、近代の文献や作品調査とか、準備や片づけを一緒にやってくれる人、展覧会に来たくても来れなかった人とどう対峙するか、とか、そういったことです。

西原 そういうことが大事になっていったのは、どういう理由からなんでしょうかね。

長谷川 展覧会はちゃんと終わるからいい、って話が出ましたよね。展覧会に終わりがあることを全力で肯定していくと、自ずとそういったことがどんどん重要になっていくというか。そもそも、展覧会をやることが目的ではない。展覧会がなくたってアートと社会が互いを貫きあっているのが見えるなら、それがいいなあという気持ちです。そう、僕たちは今年「東京インディペンデント」を手伝ったじゃないですか。無審査・無料で誰でも作品を展示できる、という展覧会をやったところ、想定をめちゃくちゃ上回る600人以上のアーティストがやってきて、1日中ずっと作品を抱えたアーティストが長蛇の列をつくった。

西原 東京インディペンデント」に関しては私はまだちゃんと整理できていませんが、まったく新しい体験でしたね。私たち、一応キュレーターとして他の4人ほどのキュレーターさんたちと一緒に現場に臨みました。

長谷川 普通、キュレーターって「展覧会に出す作品や作家を選ぶ」みたいな視点から捉えられがちだし、実際そういう権力に対しては敏感でいるべきなんですけど、「東京インディペンデント」の場合は全く逆で。僕たちが当日現場でやっていたことは、大御所だろうと、初めて展示する人だろうと関係なく全員必ず展示する、という態度を示すことでしたよね。なんというか、僕はずっと応援をしていたという感じがあって。会場が埋まっちゃって自分はもう展示してもらえないんじゃないか、と不安になってるアーティストに、「絶対展示するから待っててください」って言って「どんな作品持ってきたんですか? どうやって展示するのがいいのかなー」って話すという。あれをやれたことで、僕はとても身軽になれた気がします。多分僕やれることいっぱいあるわ、って確信しましたね。

遠藤薫 インスタレーションビュー 2017年 長谷川新キュレーション「クロニクル、クロニクル!」より

今や、ショッピングサイトやイベント、世間の関心が高まった話題を取り上げるメディアなど、さまざまな分野で「キュレーション」という言葉が使われている。それは、情報やモノが溢れているこの社会で、「選ぶ」ことの意味がさらに求められているからなのかもしれない。

お二人の話によると、強烈な個性を持ち、力強く、場所を含む展示構成をオーガナイズしてきたキュレーターもいれば、西原さんが活動を始めた当時のように、やむを得ず、場所作り、機会作りの必要が生じて「キュレーション」が行われるに至った状況もある。今回の対談の最後に言及された「東京インディペンデント」では、予想を超える数のアーティストと作品をまえに、その全ての展示を引き受ける方法を模索するという、次なる「キュレーション」の段階についての話も出た。

「生活」と「アート」、そして一人一人の「あなた」。これらの関係について、異なる時代の感覚を持ちながら「キュレーター」として今まさにアプローチを続けている両氏ならではの視点から、連載では掘り下げていきます。

  • 長谷川 新

    1988年生まれ。インディペンデント・キュレーター。主な展覧会に「クロニクル、クロニクル!」(2016-2017)、「不純物と免疫」(2017-2018)など。PARADISE AIR2017-2018年度ゲストキュレーター。美術評論家連盟会員。現在、日本建築学会書評委員、日本写真芸術専門学校講師を務める。最新の展覧会としては「STAYTUNE/D」(ギャラリー無量、富山、2019)を企画。

  • 西原 珉

    1990年代の東京のアートシーン黎明期にキュレーター、評論家、アートマネージメント、ライターとして活動。2000年にロサンゼルスに移住。臨床心理カウンセリングの大学院を修了し、福祉事務所にて勤務。帰国後、カウンセラーの経験を生かした新たなアートのアプローチを模索している。