見慣れた街がアートに。
Super Ordinary Life ブロガー・豊田ヤスミ インタビュー
いつもの通勤路や近所の景色にも、あっときらめく瞬間がある。
偶然が生み出す光と影や、チャーミングな人工物の構成。
見慣れた街の要素が新鮮に感じられる写真と、
視覚的な面白さについての考察を綴ったブログ『Super Ordinary Life』は、
私たちが日常の多くの部分を見過ごしていることに気づかせてくれる。
子どものような好奇心と、効率重視の現代社会への疑問を抱き、
街を歩いて写真に切り取るのは、ブログの運営者である豊田ヤスミさん。
シンプルな習慣が教えてくれる都市の美しさに気づく感性や、
散歩をすることで実感できる、人や自然とのつながりについて
実際に豊田さんと一緒に歩きながら話を伺いました。

ブログ Super Ordinary Lifeとは
―まず、ブログを始めたきっかけを教えてください。
7年前に、息子が生まれたんですね。私自身、子どもを育てるのが初めてということもあって、子供が泣いたときにどうしたらいいか分からなかったんです。その対処法に、ベビーカーに乗せて外に出かけたら、彼が泣き止んですぐに眠りました(笑)。それから歩くことが好きになったと思います。
散歩に行くと、彼は壁や花、道などをずっと見つめています。私には見えてない何かが見えてるのかって最初は怖かったんですけど、一緒にじっくりモノを見ていくうちに、以前は気付かなかった日常の景色の細かいところに目がいくようになって。これって大人になっても大事なことでは? と思って写真を撮り始めたんです。
―Super Ordinary Lifeという名前にはどんな意味が込められているのでしょうか?
私にとってOrdinary(日常)はSuper(普通ではない)ということです。意味は矛盾しているかもしれませんが、本当に言葉のままだと思っています。誰も気にしていない景色を写真として切り取ることで、その景色が普通ではなくなる。普通は人によってそれぞれ違うという要素がこの名前に含まれているんです。

街を撮り続ける意味
―インスタグラムやブログに投稿している写真は、ほとんどが街の写真ですね。
自然に囲まれているとき、人は美しいものに気付きやすいですよね。私たちは自然の一部であることを忘れがちですが、実際にその環境に足を踏み入れると、そのことを認識して自然とつながっていく。でも、私にとっての日常は街で過ごす時間です。
周りには自然が少なく、人工的なものがほとんど。都市は大量生産されたデザインに溢れていて、どこも同じような景色ですよね。そこでは、美しさを見出すことが難しかったり、街とのつながりを感じるには、自然より時間がかかる。でもだからこそ、都市で人がより良い生活を送るためには、見慣れた場所であっても細部に目を留めて、街とのつながりを感じられることが大切なことだと考えているんです。
―つながることで何が得られるのでしょうか?
過酷な環境でも美しいものやインスピレーションを探すことで、“今”を意識することができますよね。周り全てを意識することは不可能ですが、できるだけ小さなことに気付くということはとても良いことだと思っています。

歩くことで“今”を意識する
―今回の取材、豊田さんから「一緒に歩きながら取材を行うのはいかがですか?」と提案していただきましたよね。ブログでも歩くことについての記事を書いていますが、歩くことをすすめるのはなぜですか?
電車も好きですが、電車から目に入る景色はすべてが早く通り過ぎてしまうので、自分が何を見ているのか分からなくなります。歩きは、どこに行くにも一番遅い方法ですが、「自分が何を見ているのか」を考える時間を与えてくれます。
この時間が習慣になって今を意識するようになったというか。個人的には瞑想に近いのかなと思っています。
―実際に歩きながら周りをじっくり見ていると、「なんでこんなカタチなんだろう?」と疑問がいくつも湧き出る感覚がありました。
そうなんです。それに、一緒に歩く人によっても街の見え方は全然違います! 例えば、私の夫はライティングデザイナーなので、彼は光や影にとても敏感です。他にも、地質学者の友人と歩いていると「この石、見て! これがこの石の年齢〇〇だよ」といった話が聞けたり、作家は一緒に歩いている道で物語を作ったり。
―同じ道でも、人によって見るところも違うと。面白いです。
ここはどこですかね。感覚にしたがって歩いていたら、迷子になりましたね(笑)
―久々に迷子になった気がします(笑)。普段からスマホの地図を使ったり、大人になって迷子になることってほとんどないですよね。
こういう状況を、ある人は恐怖に感じたり、ある人は冒険だと感じたり、面白いですよね。

撮りたくなる瞬間とは?
―豊田さんが撮る写真は、映っているものは見慣れたものがほとんどですが、どこか美しさを感じます。撮る写真に共通する要素はありますか?
まずは色ですね。色彩が豊かなもの。それから、変わったテキスチャーも好きです。

―曇りがかった窓に映るモノの写真もよく見ます。
曇りがかった写真って、絵画みたいじゃないですか? 写真なんですけど、どこか絵に近い。はっきり見えないミステリアスさだったり、なにかを暗示しているものに惹かれます。もっと知りたくなるような欲求に駆られるんです。

―他にも、この取材中、光の反射を見て立ち止まる姿もありました。豊田さんにとって光はどんな存在ですか?
光がないと何も見えないわけで、光が命をもたらすというか、私にとっては大事なものですね。反射した光も好きです。アクシデントのような偶然性も。他には、モノの光の影が風になびいて、揺れ動いてるのとか。とても空想的だと思いませんか?

―偶然性を大切にされていますよね。
偶然性は大事ですが、人間のクリエイティビティが感じられるような光景も好きですね。例えば、特殊な素材の使い方とか。素材によって放つ声のトーンみたいなものがあるじゃないですか。例えば、鉄は硬くて、冷たい。だから、ここは絶対に入ってはいけない、みたいな。同じように硬いものでも、竹には柔軟性も感じられる。それは色にも言えることで、黄色や黒を使うことで警告という信号を送っていたり。
―その物自体が喋りかけてくるわけですね。言葉を必要としないひとつのコミュニケーションだと。
そうした人の工夫を見るのが好きなんです。壊れた部分を長持ちさせるために直したり。その直し方がとても秀逸だなと感心することも多いです。文化的なものであれば、金継ぎなどに通じる美学なのかもしれません。


ロンドンと東京の地面の個性
―豊田さんは、日本に住む前はロンドンに住んでいたとお伺いしました。ロンドンや日本の街の違いはありますか?
ロンドンに住んでいた頃は、地面を見ることが「必要なこと」だったと思います。というのも、私が住んでいたエリアは、治安が悪かったものの、古びた倉庫などをアートスタジオとして再利用したり、芸術家が多く住むところでもありました。なので、歩いている地面には危険なものもあれば、グラフィックなどがたくさんあって。それが結果として、足元を意識しなければならず、訓練になりました。日本は地面からの情報が多いですよね。「止まれ」や歩行の線とか。警告メッセージが多い気がします。

―それほど下を見て歩く人が多いということなのでしょうか。
どうでしょうね。でも逆に見上げることは、どこか特別な行為だと思います。普段はスマホやパソコンなど下を見ることが多いので、見上げることはあまりしません。だから、前向きになれる行為だと思うんです、気分が良くなるというか。

気付きは価値である
―話している中で、“気付く”や“意識する”という言葉をよく出てきましたが、どういう意味ですか?
「見る」と「観察する」は、違うことだと思うんです。見ることは、ただ視界に入るということで、観察することはモノに注意を向ける、要するに考えることだと思っていて。
何事も、気付くことがスタートポイントだと思います。毎日歩いている道や見慣れた景色に違いが生まれると、すぐに気付くことができる。それが “今”を意識することだと思っています。
―意識することで、身の周りとのつながりに意味を見出せるようになるわけですね。
現代は、私たちが何に意識するかが経済活動を決定づけていますよね。SNSの広告などがそうかもしれませんが、産業全体が私たちの注意を引く方法を考え出すことで成り立っています。
私たちの意識にはとても価値があるのです。しかし、お金の流れと結びつくことだけに、私たちの気づく力を使っていていいのか、疑問に思うことがあります。
なんの変哲もない日常に美しさを見出すことは、自分自身の意識を取り戻す方法です。それは現代社会に対する一種の抵抗であり、より人間らしくなるための反抗でもあるかもしれません。

―さいごに、Super Ordinary Lifeとして活動を通して得たことを教えてください。
満足感やつながりでしょうか。日常や周囲とのつながりを感じられることで、自分らしい表現の仕方を教えてくれました。ブログに記録することで、過ぎ去っていたことに気づいたり、新たな思考を与えてくれたと思っています。可能性を確実に広げてくれました。
―ブログはひとつのコミュニケーション(ダイアログ)であると?
そうですね、旅のようなものともいえます。写真を撮ることで、もう一度、あのときに戻れる気がするんです。気付くことで意識する。ここで培われたことが、人との接し方にも反映されたりするんじゃないかと思っています。
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