#OUTDOOR#TRAIL#FOOD

衣食住をかついで歩くJohn Muir Trailへの旅

ロングトレイル日記 その6 ―山頂から見えた空―

VOLUME.11

MARGARET HOWELLのカフェ店舗で7年ほど勤務し、
現在、都内3店舗のキッチンリーダーをつとめる緑川千寿子さんは、
昨年の夏、約1ヶ月にわたってアメリカ「John Muir Trail」への旅に出た。
第6弾では、標高4,418メートルのホイットニー山の登頂に挑戦。
寒さによる寝不足、慣れない高度で必ずしも万全とはいえないコンディションのなか、
なんとか一歩を踏み出して見た景色とは。

Text by Chizuko Midorikawa (ANGLOBAL)
Edit by Yoshikatsu Yamato (kontakt)

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あまり寝られなかった。冷え込むなか、ダウンを着たまま歩き出す。今日は最後の峠を超える日だ。4023メートル地点。ここまで登ってきた自分に驚く。すごいじゃないか。寝不足でぼんやりとした頭も、澄み渡って遠くまで見通せる山々の峰を見ていると次第に冴えてくる気がして、自信みたいなものがかすかに湧き上がってくる。自分が立っているところから見えている視界には、ゴールであるマウントホイットニーもあるはずだ。

この高さからさらに下って、遠くに見えるあの山のさらに先まで行くということは、到底ありえないことに思える。とはいえ、今こうして4000メートルを超えたところにいるのも、ありえないと思っていた事態の一つ。行動する前は、ありえない、ありえない、と思っていたことの只中にいるのだ。

「歩く」。シンプルなことだが、このひたすらの繰り返しに、料理をすることや、食べること、他のハイカーとの出会いが重なった。それに、街で過ごす、だらっとした幸せな時間も大切な一場面。予想もしていなかった出来事に遭遇したり、プラン通りに進めないこともあったけれど、ただひたすら歩いて、ここまで来た。

休憩をしていたら、ここ数日間、追い抜いたり追い抜かれたりで何度か顔を合わせていたアメリカ人のカップルと再会した。彼らは「はやくゴールして、チーズバーガーを食べて乾杯したい」と笑う。私も、それに同意して笑った。

登って、すこし降りては、また登る。高度の上がり下がりにともなって気温も景色も変わる。刻一刻と変わっていく。「地球すごい」。これは山戸さんがJohn Muir Trailを歩いていて感じたことを、どうにか言葉にしたとき出てきた一言だ。

この地球のなかには、これだけの豊かさがある。木が湖の周りに生い茂り、長い時間をかけて育った高い木が倒れ、また別の木が、倒れた木の高さまで成長していく。雷にうたれて、焼け焦げてしまった木もあった。

みずみずしい緑。荒々しい岩肌。たくましく、可憐な花が咲く場所。うってかわって砂漠のような荒野。こんな場所を歩けて本当によかった。「点」として思い出されてくる色々な出来事や見た景色やそこで感じたことも、だんだん、このJohn Muir Trailというひとつながりの過程のなかのこととしてまとまってくる。ゴールは近い。

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朝。初日にも食べたアルファ米の赤飯を食べて気合いをチャージ。どうか無事にゴールできますように。

昨日は見上げるほどに大きかった岩は、実際に自分が歩く場所へと変わり、しまいには見下ろすことになる。グレーな世界に改めて圧倒される。そんなとき、自分の手が痺れだしてしまった。坂道を歩いているあいだに呼吸が乱れ、過呼吸のようになったのかもしれない。痺れは全身へと広がって、動けなくなってしまう。

「登頂できなくていいんじゃないか」。

この状況からすれば、そう思うことは不自然ではない。断念することがベストな選択である可能性も高い。けど、ここまできたのだ。登頂したい。私は、登りたいという気持ちを曲げられなかった。涙が出た。諦めたくなかった。

どうにか落ち着いて、呼吸に気をつけながらゆっくりと登りを再開する。分岐点にザックを置く。背中が軽くなり、身体がふわっと浮かぶような感覚がする。必要最低限の荷物だけを背負って山頂を目指す。

意外と距離があった。大きさや形もばららばらの岩が転がっている道は、足場が安定している保証はない。気を抜けば踏み外してしまう。風が強く吹いている。無我夢中で、一歩ずつ進んだ。

小屋が目に入る。もう少しだ。息をするのがつらい。周りを見る余裕はない。それでも歩き続け、頂上を示す看板が目に入る。顔をあげ、周りを眺める。グレーの岩肌に慣れていた目に空の青色が広がる。4,418メートル。雲ひとつない。記帳台で名前を書き、写真を撮る。

ゆっくりとしている暇はなく、ここからキャンプサイトまでさらに歩いて下っていかなければならない。テントで寝るのも今日の夜で最後だ。ロングトレイルへの出発が決まって、テント泊に慣れるために自分の家のベランダで寝袋にくるまって夜を過ごした自分。そんな自分が、今日こうして、John Muir Trail最後のテント泊をするなんて。

キャンプサイトについてテントを張れる場所を探す。しかし、風が避けられる場所はもう埋まってしまっていた。さらに歩いていったキャンプサイトで拠点になる場所を探すが、なかなか見つからない。日が暮れかかって焦ったけれど、日没の寸前で、どうにかテントを張ることができた。余りの食材でクリームパスタをつくる。

ホイットニー山の登頂を果たし、ついに長かったトレイルのゴールを迎えた緑川さん。しかし、まだまだ旅は続きます。山を下っていく過程でここまでに起きた出来事を思い出し、反省、今後の展望、さまざまな思いを抱きながら街へと向かっていきます。

  • 緑川千寿子

    マーガレット・ハウエル 神南カフェで7年間を過ごし、現在はマーガレット・ハウエル カフェ3店舗のキッチンリーダーを務める。大好きな漫画や食にまつわるエッセイを片手にお酒を嗜むことが何よりの至福。