香りを作る 伊部知代(調香師・エステティシャン)
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THE WORKING−仕事

香りを作る 伊部知代(調香師・エステティシャン)

VOLUME.5

ほぼ全ての人が仕事をする。
理由やその形はさまざまだけれど、それは生きる上でとても大切なことのひとつ。
時代とともに変化する仕事について知ることは、
今とその先のいろいろなことを“考える”きっかけになるかもしれない。
何か特別なことではなくて、さまざまな人たちの生業について見聞きしたいと思う。
知らない土地を旅するように。

Photography by Natsuki Kuroda
Edit by Yoshikatsu Yamato (kontakt)

香りには、感情を落ち着かせたり、引き出すパワーがある。生まれ育った土地へ帰ったとき、意識したことのなかった故郷の香りにはっとしたり、ある香りによって、懐かしさをおぼえたり。あるいは、顔をしかめてしまうような匂いに危険を感じ取ったり。この香りをかぐと安心できるな、という自分にフィットする香りもまた、人それぞれにある。

伊部知代さんは、メディカルエステティシャンとして活動しながら、植物の薬理効果によって体調を整える「フィトテラピー」を学び、その知識をもとに、フレングランスづくりや、店舗やギァラリー空間の調香を行っている。生活のなかでさりげなく、しかし、ダイレクトに身体に影響を与える「香り」について話を聞いた。

―まず、「フィトテラピー」とは? ということをお聞きしたいです。

伊部 「フィトテラピー」というのは、「Phyto(植物)」と「Therapy(治療、療法)」を組み合わせた言葉で、植物が持っている薬理効果を用いて心と身体の調子を整え、自己治癒力を高める療法のことです。日本であれば、「風邪をひいたら頭にキャベツ」といった言い伝えがありますよね。そうした民間療法や、東洋では漢方と呼ばれるもの、あとは、梅干しやお味噌など、ひとの手をかけて植物の栄養を引き出して、身体に取り入れてきた昔ながらの食事の知恵もまた、「フィトテラピー」とつながっているように思います。

―耳慣れない言葉ですが、すごく身近なものだったんですね。

伊部 フランスのパリには、薬としてハーブ製品を扱う専門店があります。訪れた方にカウンセリングを行って、症状に応じたハーブを調合したり、精油を選んだりしてくれる、日常生活に馴染んだハーブ薬局です。飲む、塗る、香るなどによって、自然の力を取り入れて、自分の症状を緩和したり予防する。そんなふうにして、普段の生活にフィト(植物)を使っているんです。

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―伊部さんが「フィトテラピー」に出会ったいきさつを教えてください。

伊部 私は福岡の病院で、医療機器を使用したエステの仕事をしていました。パートナーの転勤もあって、5年前、生活の拠点を東京に移したんですね。福岡にいた頃は、1週間に1回だったり、月に1回など、比較的短いスパンでお客さまの施術ができたのですが、東京に来てからは、34ヶ月毎に福岡へ帰って施術を行うことしかできず、お客さまの体調やお肌の変化に気づくのが遅れるんですよね。エステティシャンとしては、身体だけではなく、精神的な不調などもふまえてケアしたいと思っていたので、このようなスパンで行う施術だと、どうも、ベストなケアが出来ていないような気がしていたんです。

―そうだったんですね。

伊部 それで、私が施術をできないあいだに、お客さま自身ができるようなことを、なにか伝えたいと考えていました。そうしてモヤモヤと悩んでいたときに、メイクアップアーティストで、植物学も学ばれている早川香須子さんのインスタグラムの投稿で「フィトテラピー」を知りました。それを見たときには、全身がぶるぶるっと反応して(笑)。これこれ! これがやりたい! と思い、すぐに「ルボア フィトテラピースクール」で勉強を始めました。本場フランスで植物薬理学やフィトテラピーを学んだ森田敦子さんが開いたスクールで、もう、通っているあいだはとにかく楽しくて。そこでは、さまざまな症状に応じた植物の処方を学んだり、人体の医学的な側面も学びました。まだ全ての学科を取れていないので、時間ができたらまたすぐにでも通いたいくらいです。

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―勉強なさったあとで、エステでの施術にも、フィトテラピーを取り入れるようになったんですか?

伊部 今は、私自身が福岡に戻ることがなかなかできないでいるのですが、お客さまに施術をすることが、あくまでも自分の活動のベースだと思っています。フィトテラピーは、お客さま自身が、セルフケアとして生活のなかに取り入れられる内容でもあるので、チェックリストを作り、お客さまの今の心身の状態を知りながら、ハーブティや精油を選ぶお手伝いをしたり、アドバイスをしていますね。

―伊部さんは社名でありブランド名でもある「HORTENCE(オルタンス)」として、フレグランスの制作もなさっていますよね。

伊部 そうですね。アングローバルさんのセレクトショップである「THE LIBRARY」からご依頼を受けて、フィトアロマミストを作りました。また、空間の香りを整えるお仕事もしています。最近では、ギャラリーや、ジュエリーの合同展の空間、美容室のプロダクト、アパレルの店舗などで香りをプロデュースしています。保育園での香りの設計は、3年目になります。

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―香りはどのように作っていくのでしょうか。

伊部 アロマミストなどのプロダクトであれば、最初に、香りの方向性のヒントになるようなキーワードから連想をはじめて、薬理効果もふまえて精油をセレクトをしていきます。たとえば、「夏の香り」だったら、体感温度を3〜4度下げると言われるペパーミントや、清涼感や抗菌殺菌効果のあるレモン、モスコミュールやジントニックを感じるようなジュニパーやベルガモットなどの精油をいくつもリストアップする。で、そのときに、想像で、これとこれはブレンドしたら合うだろうな、などと考え、ノートに配合のメモを取りながらブレンドをしていきます。香りの印象は一滴でガラッと変わるものなので、その調合がピタッと調和した瞬間はとても嬉しくなって、独り言を言いながら喜びを噛み締めてしまいますね。

―香りづくりにあたって、こだわりはありますか?

伊部 ありきたりな香りはあまり作りたくないですよね。たとえば、虫除けミストを作るとしたら、レモングラスなどが多く使用されていたりするのですが、なるべくならそのブレンドを避けて、虫が苦手とする他の香りを探してみたりします。

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HORTENCE(オルタンス)」のフィトアロマミスト。

2020/8/28現在は、THE LIBRARY天神店と、同セレクトショップのECサイトにて展開。詳細は店舗にてお問い合わせください。

―手書きのパッケージが素敵ですよね。

伊部 ありがとうございます。これは、コストを抑えるという理由からですね(笑)。香りが届くお客さまに、メッセージを書くような気持ちで楽しんで書いています。もし今後、香りの配合がオリジナルとして一つ決まったら、パッケージを作り、印刷をすればいいとも思っていますが、今は、私の手の届く範囲でのものづくりですし、そのときどきのブレンドでお届けしているので、この装いが合っているのかなと。

―保育園など、空間の調香についてもお聞きしたいです。

伊部 保育園では、建物のエリアごとに香りを変えています。たとえば、玄関は、送り迎えの場所。子どもが親たちと離れて不安な気持ちを抱いたり、親が仕事を終えてお迎えにきて、気持ちのモードが切り替わる場所だったりする。そこには、ほっとするような香りを選びます。お昼寝をする部屋には、柚子やオレンジなどといった、気持ちを落ち着かせ、緊張をゆるめ心地よく眠りへと誘うような香りを選んでいきます。あとは、空間全体がクリアになるような、精油の薬理効果も大切にしています。

―空間の香りづけの際に、気をつけていることはありますか?

伊部 そうですね。保育園ですので、子どもに使用できない精油もありますし、使用する時間や頻度を考えて、穏やかに香るようにしています。よく考えてみると、嗅覚って、すごく大切で敏感な感覚なんですよね。赤ちゃんがミルクを探すことができるのも、香りを感じ取っているからできることですし、私たちの普段の生活でも、匂いをかいで、あ、これはもう食べられなさそうだな、と判断したり、危険を察知したりすることもあります。子どもの頃に嗅いだ匂いの印象は今でも覚えているし、それが安心感や、懐かしさなどとつながっていたりもする。

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―確かにそうですね。子どものときにかいで、今でも印象に残っている香りがあります。

伊部 言葉にしづらくとも、季節ごとに変わる花の香りや、雨が降ったあとに感じる独特な匂い、お母さんをギュッとしたときの香りやなど、身の回りにある香りを子どもは感じ取っています。そうした香りの体験が、感情と結びついて記憶に寄り添って、一人一人の豊かさにつながっていったらいいなと思っています。

―空間の調香でも、プロダクトでも、香りを決めるまでのあいだに悩むことはありますか?

伊部 それはすごくありますね。香りには、ブレンドしたものを熟成させて、馴染ませる時間があるんです。混ぜ合わせた瞬間にはいいと思っても、時間が経つと、あれ? ということもあります。なので、ある調合が決まったら、それを持ち歩いています。香りが、時間とともにどう変化するかを観察するんですね。自分が外に出て、いろんな感情だったり状況のなかで嗅いだときに、いい匂いだな、と思えるのかどうかを試す過程でもあります。

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―なるほど。では、香りづくりは、調合の作業でのみ完結するというよりは、伊部さん自身がその香りをざまざまな生活のシーンで使ってみて、試行錯誤を経て完成すると。

伊部 そうです。時間の移り変わりや、自分のいろんな感情をフィルターにして香りを調整する過程は、すごく大切にしています。香りって、本当に、人によっても、気分によってもフィットするものが違いますよね。香りの強さも、穏やかなものがいいときもあるし、逆に、しっかりとした香りが空間や人物像を印象付けることもある。

―香りほど、そのひとの好みに左右されるものってないかもしれませんね。

伊部 本当に、人によって、あるいは置かれた状況によって「いいにおい」だと感じる香りは違うんですよね。そのことは、私もたびたび意識しています。でも、だからこそ、誰もがみんな気に入ってくれる匂いをつくることは、ちょっと違うと思っているんです。そうではなくて、まずは、自分の身体が正直に「いいな」と思える香りを目指したい。癒し、美しさ、力強さ、女性性や男性性といったカテゴライズされたものだけでなく、その人だけが持つ魅力や、幸せな気持ちになるものって、誰しも自分自身のなかに持っているので、そんなものを引き出せる香りが作りたいと思っていますし、誰かの安らぎに繋がったら嬉しいな、という思いで香りを作っています。私のつくったアロマではなくても、人が香りを選んだとき、幸せになったり、癒されたり、元気になったり、その人自身がもともと持っているエネルギーみたいなものを思い出す手段に、香りがなってくれたらいいなと思っています。

今回のインタビューは、駒沢の「mano cafe」で行いました。

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旬の食材でつくられる季節のパフェは、「パイナップルとココナッツのパフェ」。雲のかたちをしたメレンゲ、ホイップクリームのさわやかな甘みのなかに、ぷるんとしたゼリーやピスタチオのつぶつぶとした食感が楽しく、最後のひとくちまで飽きることのないパフェでした。ドリンクには、彩りきれいな「お花のソーダ」を添えて。

  
  • 伊部知代

    医療機器とENVIRONを使ったメディカルエステティシャンとして、福岡の病院内で勤務後、東京に拠点を移し、ルボアフィトテラピースクール(AMPP(フィトテラピー医学普及協会)フランス植物療法普及医学協会認定校)のプルミエ、プログレコース1を卒業。フィトライフコーディネーター/フィトアドバイザー/AEAJアロマテラピー2 1級を取得。保育園や展示空間、店舗の調香をはじめ、「HORTANCE(オルタンス)」ではフレグランススプレーを制作するなど幅広く活躍中。

  • mano cafe

    東京都世田谷区深沢4-35-5

    TEL 03-6658-5863

    11:00-18:00L.O 17:00

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