詩人・建築家 立原道造のヒヤシンスハウス 前編
#ART&CULTURE

「落ち着く空間」を考える

詩人・建築家 立原道造のヒヤシンスハウス 前編

VOLUME.1

150年以上にわたって、シンプルな日常着を美しい素材で作り続けている「SUNSPEL」の表参道店で
スタッフをつとめる中山沙彩さんは、自宅での読書や、出かけたさきで建築を体験することが趣味。
連載では、彼女が出会った詩人・建築家の立原道造を通し、「落ち着く空間」について考えていきます。
前半は、立原が構想し、没後に実現された週末用住宅の「ヒヤシンスハウス」を訪れ、
後半では、青森県立美術館や京都市京セラ美術館といった公共空間から、商業空間、
さらには個人の住宅までを手がける、建築家の青木淳さんに、
ほっとする空間について、話を伺っていきます。

Edit by Yoshikatsu Yamato(kontakt)
Photography by Yurika Kono

 24歳という若さで亡くなった立原道造は、第一回中原中也賞を受賞し、多くの詩を残した詩人でありながら、大学では建築を学び、その後に建築事務所へ就職をして、建築家としての道も歩んでいた人物です。生前に彼は、設計図やスケッチを描き、実際に手を動かしながら、週末用住宅「ヒヤシンスハウス」を構想します。その住宅で、彼が実際に週末を過ごす日々は訪れませんでしたが、計画が生まれて66年のときが過ぎた2003年に、「詩人の夢の継承事業」として、さいたま市や立原を慕う人々の厚意により、埼玉にある別所沼公園に「ヒヤシンスハウス」が実現されました。

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 立原道造は、小説『風立ちぬ』を代表作として知られる堀辰雄に兄事をして、多くの短歌や詩を発表しながら、現在の東京大学である、東京帝国大学建築科に進学しました。彼自身の名前による建築の実作はないため、詩人として知られ語られることが多いですが、大学在学中には、優れた設計課題にたいして与えられる辰野賞を3年連続で受賞しており、建築学生として、その秀才ぶりは疑う余地がなかったようです。

 同大学で一学年後輩であった日本を代表する建築家、丹下健三は、自伝の『一本の鉛筆から』のなかで、立原の名前をたびたび出しています。彼らは、「在学中も、卒業してからも、たびたび建築や芸術などについて話し合う」(*1)仲であり、丹下は立原を「私とは性格も違うし、考える方向も違っていたが、それがかえって影響し刺激し合う仲にさせた。私が大学を卒業した翌年に亡くなられたが、青春時代、鮮烈な光ぼうを放って私の目の前を通り過ぎた一人である」(*2)と表現し、その存在を印象的に語っています。

*1 丹下健三『一本の鉛筆から』(日本経済新聞社、198514頁)

*2 同上(15頁)

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 1937年、23歳の立原は「ヒヤシンスハウス」を、当時、画家が多く集まり、別荘地を形成していた浦和に計画します。知人を頼りに立地を検討し、さらには、画家の深沢紅子に、庭に立てる旗を依頼するなど、実現に向けて具体的に動き出していました。しかし、計画なかばで、彼はこの世を去ります。24歳と8ヶ月でした。立原は、詩人として今でも、その作品が読まれ続けており、多くの関連書籍が出版されています。そんな夭折の詩人、立原の詩に偶然出会ったのが、SUNSPEL表参道店につとめる中山沙彩さんでした。

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 中山さんは、休日や旅行先で美術館を訪れると、展示作品だけでなく、建物そのものを体験することにも楽しさを感じる建築好き。本屋で偶然知った立原道造への興味を深めてからというもの、インターネットなどで調べていくうちに、公園のなかで一般公開もされているという「ヒヤシンスハウス」を知りました。そこは、5坪ほどの小さな住まいで、大きくて広々としている週末用住宅ではありませんが、自分の手の届く範囲にものが収まっている空間のほうが落ち着く、という感覚を、普段の生活のなかで持っていた中山さんは、この小さな住まいに、すごく魅かれたのだそう。

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 実際に建築を訪ねるとき、中山さんがまずはじめに注目するのは、入り口。「入り口は、いちばんどきどきしますよね。そこは、小説で言えば、書き出しの1行目。映画ならば、最初のシーンです。小さな出来事が起きて、その後の物語の展開を予感させたり、あるいは、衝撃的な事件によって観客を引き込んでいくこともあります。ヒヤシンスハウスは、すごくさりげないのですが、印象的な入り口でした」。

 「敷地の入り口から、玄関にむかっては、飛び石が配置されています。そこを歩いていくと、石のブロックに突き当たるんですね。そして、3段のステップをのぼります。ヒヤシンスハウスの床の高さって、大人であれば、一歩で登れてしまうと思うんですね。でも、ここに3段のステップがある。とんとんとん、と、小刻みに階段をあがると、リズムのようなものが生まれてくるような気がしました」。

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 「玄関の戸を開くと、雨戸には十字のかたちの切り抜きがあります。ヒヤシンスハウスは、かたちや大きさのさまざまな窓がある家で、雨戸を閉じているときにはひっそりとした鳥箱のようですが、窓を開けると、周囲の自然と溶けあうような、開かれた空間になりました。雨戸を閉じて、薄暗いヒヤシンスハウスのなかにいると、十字にくり抜かれたところから外を覗きたくなったりして、秘密基地のなかにいるような、そんな高揚感をおぼえました」。

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 ヒヤシンスハウスはいわゆるワンルームのつくり。横に長く伸びた長方形で、腰掛けられる高さのベンチ、顔をあげると外が見える書き物机、そして寝台が、一列に並んでいます。窓枠の緑は室内でアクセントになりつつ、外に広がる木の葉の緑と、ゆるやかにつながっていくような色づかいになっています。

 「ミニマルというか、洗練された印象を持ちました。あるべきものが、あるべき場所におさまっているというか。でも、緊張感はないんですよね。あたたかみがあって、すごく落ち着く。身の回りのものがちゃんと自分で把握できるスケール感というか、自分もよく知っているような、“程よい狭さ”の安心感があるんですよね。北欧の建築家であるアルヴァ・アールトがつくったものと、どこか通じるような印象もありました」。

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 「雨戸を閉めると、身を隠すシェルターのようでありながら、雨戸や硝子戸をすべて開け放つと、別所沼の水のながれや、風、草木や鳥の気配が感じられるオープンな空間になり、そのコントラストが印象的でした。夜には、天井につられている電灯をひとつつけて、静かに読書をするのもいいし、日中は自然の動きをダイレクトに感じられる住宅を、立原さんは求めていたのでしょうか」。

 中山さんは、詩人としての立原と、建築家としての立原が重なった気がしたと言います。「なんだか、詩をつくるのにすごくあっている空間なのかもしれない、とも感じました。慎ましさと、自然を受け入れていくおおらかさが同居している。そういうところは、彼の詩とも共通するような気がします。風や、花、そういうものにたいしての観察のなかに、すごく孤独で、自分がぽつんとあるような感触が、ひとつの詩にまとまっている感じというか」。

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 立原道造は1914年、東京の日本橋に生まれます。小学校を卒業するころに天文学へ関心をもち、絵画に親しみ、中学生になると、天体観測や映画や読書に熱中。高校生では短歌を多く発表し、堀辰雄と出会って兄事をはじめ、室生犀星とも親交を持ち、文学に接近しながらも、東京帝国大学の工学部建築学科に進学。3度目の辰野賞を受賞した卒業設計を終えて、1917年、石本喜久治建築事務所に入所します。その頃に、「ヒヤシンスハウス」の計画もはじまったのでした。しかし、体調の優れないときは事務所を休まざるを得なくなり、翌年には休職。1939年2月に第一回中原中也賞を受賞するも、3月に体調が急変、血痰が喉にからまる喀痰不能のためこの世を去ります。

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立原道造ファンだという漫画家の魚喃キリコが挿画を書く

『立原道造詩集 僕はひとりで 夜がひろがる』(2010 ,PARCO出版)

 立原道造の詩に中山さんが出会ったのは、京都の書店「恵文社一乗寺店」の、詩の本が並ぶ一角でした。「心がなんとなく弱っているときに、詩を読むと気持ちが軽くなるようなことがあります。詩とは、自分にとってお薬のような文章のジャンルなのかもしれません。そのときは、まだ知らない著者の本を読んでみたいと思っていたので、素敵な装丁で目を引いたこの本をふと手に取ったんです。この本をきっかけに、さらに彼に興味を持って詩を読みはじめ、どの詩も好きなのですが、あえてひとつ選ぶなら「春が来たなら」でしょうか」。

春が来たなら

春が来たなら 花が咲いたら

本のかげに小さな椅子に腰かけて

ずつと遠くを見てくらさう

そしてとしよりになるだらう

僕は何もかもわかつたやうに

灰の色をした靄のしめりの向こうの方に

小さなやさしい笑顔を送らう

僕は余計な歌はもう歌はない

手をのばしたらそつと花に触れるだらう

春が来たなら ひとりだつたら

『立原道造詩集』(ハルキ文庫、2003年、222-223頁)

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 「今回、ヒヤシンスハウスを訪れてみて、ワンルームや狭さにたいするイメージが変わった気がしました。都会のワンルーム、というと、どうしても狭くて、どこか息苦しい空間を思い浮かべてしまいますし、実際そういうところもありますよね。でも、ヒヤシンスハウスは、5坪ほどで、部屋の広さ自体はかなりコンパクトなのに、それがかえってしっくりくるんです。自分にとって満ち足りていると感じるスケール、インテリア、周辺の環境、自分にとって必要なスペースって、どういうものなんだろう。そういうことを考えさせられる空間でした。立原道造は、家のなかにどんな家具や小物を置くかもこだわっていたみたいですね」。

 続く第2回では、立原道造が「ヒヤシンスハウス」について語った言葉をさらに読み解きながら、この週末用住宅に息づいたささやかなディティールを細かく見ていきます。

  
  • 中山沙彩

    生まれ故郷の関西から、2019年に東京に出て、アングローバルに入社。現在は、SUNSPEL表参道店のスタッフとして、日々、お客さんの接客にあたる。休日には、美術館や歴史ある建物に足を運んで建築空間を体験したり、ちょっとした部材のつくりにうっとりしたり。読書も好きで、1日中家に閉じこもっていることも多い、ザ・文化系な一面も。